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強敵と書いて友と読む

「で、かぐやさんはエモ太郎を専属の通訳にしたいと」
しらゆきはそう言って訝しげにかぐやを見つめた。
「そうよ。最近の同時通訳はAIでやるけど、それじゃ味気ないのよ。言葉の持つパワーが上手く伝わらない。あなただって、色んな言語で本を出しているから、AI翻訳の限界を知ってるはずよ。」
かぐやは冷静にそう答える。
「ふ~ん。それはごもっともだけど、なんか引っかかるのよ」
しらゆきは腕を組み、警戒心を緩めようとはしなかった。

「私も英語なら分かるから『イッポリートの呪い』の英語版を読ませていただいたけど、日本語オリジナルの、言葉のリズム、韻、バックグラウンドに漂う雰囲気を英語で完全に表現できていた。正直、英語の伝え方の勉強にもなったわ。私にはあのクオリティーの英会話はできない。エモ太郎君は本当に凄いと思うわ」
かぐやの言葉は本心から出たものであった。しかし裏はある。

ベタに精子採取計画を依頼されて、かぐやは少し戸惑いはしたが、自分自身の恋愛政治学に基づいて、すぐに答えを導き出した。それは「敵をアウェイに引き摺り出す」という考え方だ。

エモ太郎が、自宅にいることが前提だと、ティッシュの配置や回収をしらゆきに依頼しなくてはならず、ここが計画のネックになることは明白だ。
そうであれば、前提を崩して、エモ太郎をホテルなどに泊める機会を作れば良い。しかもアウェイならエモ太郎の性欲を刺激するような仕掛けもこちらで用意できる。
自分の外遊などに同行させると良いだろう。そうだ通訳。これならばしらゆきを説得できる。
かぐやはそう考えた。

「本、読んでくれてありがとう。でも、そんな事なら、忙しい都知事さんが、直接、わざわざ、私の家まで来て頼まなくても良いんじゃない?部下使うとか。かぐやさんからおよばれされたら、わたしも行くよ」

「この女は手強い」と、かぐやは思った。全力で当たらねばならない。
かぐやは心の中で自分に言い聞かせる「真心だ!」
彼女は、本物の詐欺師の言葉には、真心と欲望が同居することを知っている。裏のストーリーを意識から追い払い、渾身の誠意。全身の好意。それだけがしらゆきの心を動かすと確信した。

「そのう...」
かぐやは口ごもった。そしてやや置いて、恥ずかしそうに話しはじめた。
「私はあなたのファンなのよ。作品は全部読んだ。悔しいけど何度も泣いた。だからその作者に会いたくなっても、しょうがないじゃない。呼びつけるなんて失礼よ。大好きな作家さんなんだから」

頬を赤らめ、目を潤ませてそう言ったかぐやに、しらゆきは穏やかな表情で応える。
「ありがとう。わたしもかぐやさんのファンなのよ」
「え?」
「わたしの処女作は読んだ?」
「『しらゆきと7人のオジサン』もちろん読ませていただいてるわ。原点だから」
「最後のオジサン。名前伏せてるけど大賀なのよね」
かぐやは目を丸くした。大賀は、かぐやが振って「神話」が確立した最多勝投手なのだ。
「え!あの脳筋ブタ野郎が!」
かぐやは、自分の心の中だけで呼んでいたその渾名を思わず口にした。

「かぐやさん。言葉のセンスあるなぁ。やっぱり。そうそう、脳筋ブタ野郎。だからさぁ。かぐやさんが振った時、しかもあれだけ罵倒したのは、大賀くらいじゃないかなぁ。あの動画見てホントにスっとしたんだ。小説には書けなかったけどね。だからわたしもかぐやさんのファンだよ」

「驚いた。でも失礼だけど、よくあんなのと。あっ。ごめんなさい」
かぐやは心底驚いて、つい口を滑らせる。
「実は寂しい人なのよ。だからね。まあわたしは振られちゃったけど、かぐやさんは振ったのだから、わたしの負けね。とりあえず通訳の件、エモ太郎に話してみる。本人の意思は大事だし。でも、たぶん大丈夫だと思う。それに、エモ太郎も親離れしなきゃいけない年頃だし、わたしも子離れしないとね」

「ありがとう。あと、これはPRだけど、私直属の部下ということになれば、都下の研究施設や文化施設はフリーパスになるから、好奇心旺盛なエモ太郎君も喜ぶと思うわ。それも伝えて。それから、可能ならで良いけど、再来週国連総会でのスピーチがあって、そこで通訳してもらえたら嬉しいわ」
「えっ!ニューヨーク!わたしも行きたい!」
ここで、かぐやはドキリとした。母子一緒だと精子採取計画が実行できない。

「なんかドキッとした?」
しらゆきはそう言って薄い笑みを浮かべた。かぐやは何も分からないフリをして首を傾げる。
「あ~残念。来週からわたしは大阪で講演ツアーが入ってて忙しいんだな。エモ太郎を宜しくね。まっ、色々裏がありそうだけど、それも悪意じゃないとわかったからいいよ」

ここで口ごもっては、かぐやの政治家としての名折れだ。かぐやはしらゆきのこの言葉をスルーして、自分の好奇心を切り出した。
「ところで『しらゆきと7人のオジサン』にはオジサンが6人しか出てこないけど、あれ、ネットては色々な説があるけど、本人から直接理由を聞きたいわ」

「お~そうきましたか。じゃあ教えてあげるけど、代わりに、かぐやさんの秘密を何か教えて」
かぐやは考えた。このことを知るための代償に値するのは一つしかないだろう。
「私が政治家になった本当の理由を知りたい?」
かぐやはそう言って自信の笑みで口元を緩める。
「え~。SNSをぶっ壊すじゃないんだ!」
「それは口実よ」
「それは凄い秘密だ!知りたい!」
しらゆきは興味津々で、身を乗り出して聞く姿勢になる。

かぐやは、しらゆきの「竹は梅より上だけど、松より下だよね」というつぶやきが引き金になった事や、就任直後に「松竹梅を禁止して竹梅松にする条例」を真剣に検討した事をユーモアを交えながら語った。
かぐやの十年以上にわたる政治生活で磨き上げられた話術は、リズム、抑揚、間の取り方、全てが輝いていて、聞いているものを心地良く酔わせる楽曲のようだった。しらゆきは話の内容よりもそのことに感動し、
「これは芸術だ。かぐやさんはやっぱりホンモノだ」と心の中で唸った。

「へぇー。わたしのつぶやきなんだ。そんなつもりは全くなかったんだけど、そんな事で人生がねぇ。あれはただ、わたしがうな重好きだから、それで、ふと思ったんだけどね」

「あなたのエッセイ読んで、よく、うな重出てくるから、最近になって私も気付いたわ。じゃあ7人目のオジサン教えてよ」
今度はかぐやが身を乗り出す番だ。

「なんてことはないの。7人目はわたし自身。わたしの内面がオジサン化してたということ。かぐやさんの秘密に比べると全然大したことないなぁ。なんだか申し訳ない。エモ太郎はわたしが必ず行かせるようにするから、安心してね」

次話 ちはやぶる 神代もきかず 豚の顔 からくれなゐに 頬染めるとは

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