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どれだけ言葉を重ねても

多分、この表現について。

相手がいる場合、往々にして「〜伝わらない」「〜伝えきれない」と続くだろう。

自分の内面でだけの悶絶の場合、美辞麗句を畳み掛ける表現はある意味甘美な自己陶酔。
言葉が意味を持たない程に、胸の痛み、こめかみの熱、背中の寒気を只々書き連ねる夜。

日常のリアルを140文字以内で呟けど空洞は埋まらず、物足りなさは募るばかり。薄い諦めと焦燥感。例えそこに、人の心を動かす程の物語も、涙を誘う詩も、オーディエンスさえ生まれなくとも。
出力と構築の快感を、創作活動と位置付けても間違いではないだろう。

どれだけ言葉を重ねても。

いつまでも満たされる事のない、出口のない、確固たる形を持たないままの泡沫の集合体。
この違和感と甘い憧憬が明日の記憶から消えてしまう前に。

胸の隙間から手を入れて心臓を取り出したら、生真面目なゴシック体に覆われているはず。
目にしたものがどんなにか美しく、耳にする全てがどこまでも共鳴を続けていると。

全部の気持ちを覚えておけないから。
せめてかけらを書き留めて、確かにそこにあった証拠としよう。

拙い絵と文章と、少しの音楽。小さな記憶を集めていこう。時々開いて振り返る時、鮮やかに思い出せるように。ある日の心に君がいて、ある時のメモリーが虹色だったという事を。





なんちゃって(テヘペロ)

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