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たからもの、を取り戻そうとした日々のこと。

 20代、私には友人と言える存在と好きな場所や物に囲まれていたと思う。全てが上手くいっていたというわけではない。将来に迷い、人間関係に悩み、上手くいかない恋愛にヤキモキすることもあった。だけど、目の前には拠り所といえる存在が確かにあった。

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 日常の中で起こる小さなモヤモヤや疑問、迷いを、あれやこれやと言い合える気の置けない友人。結局、悩みは解決しないのだけど、話し合うことで前に進むことができた日々。

 とある建物の一階にひっそりと佇む、穏やかな性格の女性が一人で切り盛りする小さなカフェ。店の雰囲気も、料理の美味しさも、優しくてお茶目な店主のお姉さんも、私にはあの店の全てがどんぴしゃと言っていいほど好みだった。お姉さんと私の年齢は、多分10歳以上は離れていたかもしれない。お姉さんは憧れの存在だった。

 当時はファストファッションはまだ到来しておらず、好きなブランド(といっても高価なものではない)の服や靴をよく購入していた。ディテールや色合いが好きだった。そして、私の雰囲気にすんなり馴染む服だった。

 そんな”好き”に囲まれていた頃、少しずつ”変化”が押し寄せてきた。変化は喪失感を運んできて私の気持ちを一時的に塞ぎ込ませていった。あの気の置けない友人の言葉にさえ、耳を塞ぐようになった。そして同時期、お姉さんのカフェが閉店することになった。

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 どのぐらい時間が経っただろう。喪失感に支配されていた私は、時間の経過とともにまた元気を取り戻していったが、あの友人とは疎遠状態になっていた。私は他の友人達と遊び、趣味や恋愛もそれなりに楽しんでいた。だけど、心のどこかで引っかかるものを感じていた。それが何かはうっすらと分かっていたが、あえて言語化することはなく、ただ感じては流すことを繰り返していた。

 30代。友人と会わなくなって15年の月日が経っていた。好きだった服や靴は、「似合わなくなった」と20代で処分していた。
私の周りは、20代の頃と比べると様変わりしていた。それは、心地よい部分もあれば、なんだかぽっかりと空いた寂しい部分もあった。

 ある日、ふと、あのカフェのことを思い出して検索をした。何十年も前に閉店したカフェを調べる自分に、何の期待をしているのだろう…と自問自答しながら。

だけど、奇跡のような事が起こるものだ。
あのカフェは1年前に再開していたのだ。
胸が高まった。
早速、ダイレクトメールを送ってみた。
お姉さんは、私を覚えていてくれた。

数日後、私はお姉さんのカフェに来ていた。あの頃よりも、店の雰囲気も料理も少し変わっていたけど、それは素敵な変身で、変わらず私の好みそのものだった。お姉さんも、会っていない間に色んな事があったようだけど、穏やかで優しく、お茶目な姿はそのままだった。

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 その夜、懐かしさと嬉しさで満たされた私は、20代の時に好きだったもの、洋服や装飾品を思い出していた。
少しの高揚感が続いていた私は、その勢いに任せてそれらを集め直そうと思い立った。といっても、時間が経ちすぎている。そっくりそのままの形で実在するとは思えなかった。

とりあえず、好きだった服のブランドを検索した。でも、そのブランドはもう存在していなかった。だけど、そのブランドのとあるサンダルが忘れられず、フリマサイトを漁った。足にフィットし、ヒール部分もちょうどいい太さで安定感があり、デザインも洗練されている、あのサンダル。

見つけた。

写真からは綺麗に見える。着用回数も少ない。でも、私が愛用していたのはもう10年以上も前。売主も同時期に購入していた可能性が高いから、正直、写真よりも実物は劣化しているだろう。

それでもいい。欲しい。
気持ちが赴くままに購入した。

届いたサンダルは、やっぱり写真よりも劣化していたけど、まだ履いて出掛けることは出来そうだった。自分でできる限り綺麗に整えることにした。

 カフェとサンダル。二つの”たからもの”が戻ってきた。でも、集め直したからといって、あの頃に戻れるわけではないことは勿論分かっていた。
ただ、再確認がしたかったのだ。私にも心ときめく服や靴を選ぶ力があったことを、心休まる場所や関係があったことを。

そして、本音を語り合える友人がいたことを。

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 私は、あの友人に連絡を取ってみることにした。といっても、そう思い始めて行動に移すまでに、3ヵ月の時間を要した。
だって、これは本音を語り合える関係の友人がいた、という独りよがりな再確認作業ではない。出来れば、友人との復活を望んでいた。その一方で、自ら距離を置いてしまった自分が、また昔のような関係に戻りたいという願いを持つことは、一方的で横暴のようにも感じてしまい、躊躇していた。

何度も迷い、考えた結果、連絡は取ろうと決心した。十数年の月日で、友人は変わったかもしれないし、私だってどこか変わったはずだ。
でも、それでいい。
変化した私達で、また一から関係が築けたらそれは最高かもしれない。もしかしたら、返事は来ないかもしれない。
でも、それでいい。
私はまた会いたいという気持ちがあることを伝えよう。そして、友人がどう判断するかは自由で、その判断を尊重しようと思った。

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 友人の連絡先も分からなくなった私は、別の友人を介して、連絡先を得た。15年ぶりのメッセージは、よそよそしい文面だった。書き直して少し気楽な感じを演出してみたけど、読み返すと、言葉の端々でぎこちなさを感じた。何度も書き直したけど、納得できる文章は作れなかった。
最後は、ぇえい!文面よりも、メッセージを送ること自体に意味があるだろう!、と迷いを振り切り、ほとんど勢いに任せて送信した。

数時間後、友人から返事が来た。
私も会いたい、という文字に涙が出た。
ありがとう。
その言葉を何度も何度も心で呟き、文字に起こした。

 私達は、再会した。
少しのぎこちなさと緊張を誤魔化すようにお互い笑い合った。2人の環境は、20代の頃と比べて大きく変わっていたけど、私達自身の掛け合いだったり、現在の似たり寄ったりの悩みの内容だったりと、細々とした所は変わっていなかった。そんな2人に、また笑い合った。

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 長い年月を経て、動き始めた私達の関係が続いていくことを願う。
また少し時間が経った。なんだかぽっかりと空いた寂しい部分は、いつの間にか埋まっていた。

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