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「私」という“キャラクター”を愛すこと

私は周りを気にしたりして、
なかなか「自分」というものを外に出さないタイプ。

それに対しての悩みが山ほどあって。

そんな私を救ってくれた曲。

曲との出会い

私は元々りょくしゃか(緑黄色社会)は学生の時から好きで、フェスに行ったら必ずブースに行って聞いてました。

「真夜中ドライブ」
「リトルシンガー」
「アウトサイダー」
は特に好きな曲です。

どれもパワフルで、元気が出る曲調。


そんな緑黄色社会の曲は私が知った時よりも、
近年はたくさんその辺で聞く機会が多くなって、
とても嬉しく思ってました。





毎日Fヨコ(FMヨコハマ)を聞きながら
仕事をしている私は毎日新曲が流れるので、
ほ〜って思いながら仕事をしているのですが、
最近緑黄色社会の曲の新曲が出ると
ほぼほぼ確実に流れるようになりました。

緑黄色社会の曲は相変わらずどれもパワフルで、
特にボーカル長屋晴子さんの歌声は、
元気が出るものです。




そんな中、「キャラクター」という曲が新曲で出たと言って、流れた日がありました。

「さすがりょくしゃか、めっちゃ新曲出すスピード早いな〜」と思いながら聞いていて、
やっぱパワフルで元気になるなぁ〜!
と思いながら仕事に打ち込む。

家に帰って、AppleMusicで早速ダウンロード。

毎朝聞くプレイリストにリスインして、
その日は寝ました。




次の日、朝にそのプレイリストを流す。

「キャラクター」はとてもノリが良くて、
朝に聞くにはピッタリ。
テンション上がるな〜と思いながら電車に揺られる。

そんな毎日が何日か続きました。

歌詞を重ねてしまった朝

思わず、歌詞を聴き込んだ

私は今年の目標に掲げているとおり、(冒頭にも書きましたが)自分を愛すること、自分らしくいることなどを目標として日々過ごしています。

(その事に関しての記事はこちらから)

前日にその事について大切な人からめちゃくちゃ言われたのもあって、その事についてめちゃくちゃ考えながら、朝気持ちが落ち込んだまま通勤してしまった日があったんです。

その時に流れた「キャラクター」で思わず
歌詞を聴き込んでしまったんです。

誰だってneed youだ
君のことがとても愛おしいんだ
いつだってneed you
そこら中にありふれたキャラクターが魅せる
奇跡の日々だ
キャラクター/緑黄色社会

need you=あなたが必要
君のことがとても愛おしいんだ


そこだけの歌詞を聞いて、「私は別に必要とされてないし、そんな愛おしいと思われるような人じゃない」「必要とされてる人はいいよね〜」と思いながら聞いてしまっていました。



しかし、その後の歌詞

そこら中にありふれたキャラクターが魅せる
奇跡の日々だ



この歌詞は私の考えをガラッと変えました。



人々を「キャラクター」と言い換え、
毎日起きる出来事やハプニングなどを、
その「キャラクターが魅せる 奇跡の日々だ」と言い換えてると感じたんです。

自分をこの世界の中の1人の「キャラクター」だと思ったらその「キャラクター」を壊すのか?と言われてるようでした。



私の固定概念を壊す歌詞

私は、「こんな人になれたらいいな」と思いつつ、
過ごしていました。

こんな人だったら好かれるのにとか。


だからこそ、自分の中には「こういう考え」というものや「こうしたい」があるにも関わらず、「こっちの方が安全だから」という方を選んで発言をしたりしてました。

稽古、芝居のサイクル
誰かになりたくって  君はまた後悔
ダメダメの目配せ  効かないアドリブ
流れない涙
キャラクター/緑黄色社会

そうやって、前準備で前日にどんなにイメージしたりして、色々やっても結局は「芝居」だからあまり上手くいかない。

「芝居」に集中しすぎて、
ちゃんと周りが見えていない。


失敗したって自分の責任だから、
後悔しつつも悔しいから涙は流さない。


そんな私を代弁しているようでした。

瞬く間にも頑なにも  こぼれた弱音が
君の中に君がいること  教えてくれているんだ
それでいい
キャラクター/緑黄色社会

表に出せなくても、私の中には絶対に「私」がいる。

「できなくて悔しい」
「ほんとはこうしたい」
「こんなことがあったから怖い」

そんなふうに言えることは、
私の「芝居」ではなく、
紛れもなく私の中の「私」。


そういうことも言っていいんだよ、
と言われてるようでした。

メンヘラだと思われるのが嫌で、
「気持ち悪い」と思われるのが怖くて、
大切だと思っている人には絶対に言えなかった私にとって、この歌詞は「そうなんだ」と思えるきっかけでした。

私を見直すきっかけになった歌詞

自分が自分でいられなくなる
“わたしはどこでここはだれだ”
キャラクター/緑黄色社会

そんなふうに「芝居」を続けていた私は私の意見がわからなくなっていました。

燃える横目、握りしめた手
魅惑のアダプター  もっと見せて
台本は閉じて  君でいてみせて
ケセラセラ
キャラクター/緑黄色社会

「こういなくてはいけない」と思いながら、イメージをしたり、答えを探したり求めたりするために他の人に相談したりして、

全てのことに、
「そうかー」「確かに」
「そうじゃないとダメなのか」

としか思えなくなっていた私に、

「その生き方でなくてはいけないって訳じゃない。
その思い描いてる、正解の“台本”を閉じて、
自分らしく振舞ってみなよ!」

と言っているようでした。


私が思わず泣いてしまった歌詞

比べなくていいよ
君にしかできない君の役なんだから
一人居ないくらい
何も変わりはしないように思えるけど
キャラクター/緑黄色社会

周りと常に比べてしまっていた私。

周りと比べて、私の「存在意義」があるのかどうなのかという、いわゆる「承認欲求」がすごい私。

「私」は「私」にしかない“キャラクター”である
この「舞台」での「役」。

別に他の人と一緒でなければならない、
なんてことは絶対ない。

こんなんでいいの?
何でいいの?って…
間違ってないし  合ってないし
愛すべきなんだ
君のために光が注ぐよ
キャラクター/緑黄色社会

正解を求めながら生きていた、
周りに相談して、聞きながら生きていた私。

「間違ってない」
「合ってない」


その言葉は
「人生の生き方に正解なんてない」
「自分を愛して、自分なりに生きることが正解」

そういう事なのかなと受け取れました。


私はそんな解釈をして
思わず泣いてしまいました。


私がしてきたことは
失敗も成功もあったし、後悔も山ほどしたけど、
それは間違ってもいないし、
正解でもない。

それが私の生き方であることには変わりないし、
その「台本」通りに「芝居」をして
生きていかなくてもいいんだよ、
もっと肩の力を抜いて生きていきなよ

と言われてるようでした。


最後の歌詞

誰だってneed youだ
君のことが好きになった
いつだってneed you
この舞台に生まれてきた全てのことは
産み出された、ただそれだけで意味があるから
キャラクター/緑黄色社会

この世の中を「舞台」と言い換えられていて、
そこに生み出された、生まれてきた、
「それだけで意味がある」
という歌詞。

この歌詞で締められていることで、
「強く生きよう」と思えました。



実は「大切な人」に
同じことを言われていた

私は大切な人にこの歌詞と
同じことを言われていたんだなと思いました。



私らしくいればいい。

思ったことは言っていい。

もっと頼って欲しい。

もっと自分を出してよ。



ただその言い方ややり方が私には合っていなかったために、私は終止符を打つことにしました。


彼もきっと不器用なんだと思います。


私に平気で酷いことを言ってきたりして、
私のことを怒らせようとしてきたりしました。

でも私はそんな酷いことを言われても「私が悪い」と思い、謝ってしまっていました。



そうすると彼には罪悪感しか残らない。



そのため、時には「なんで怒ってくれないんだよ、、」と彼が肩を落とす場面もあったりしました。


でも私が悪いと思ったことに関して、
私も私で怒ることはできませんでした。



そのループが結果に繋がってしまったのかなと。



私も私でその不器用さに早く気づければもっとこうできたのになとか思ったりしました。

終止符を打とうと決めてから彼と会った時、どうにでもなれ!と思い、私はその日だけは思ったことを口に出すようにしました。

すると私は彼をちゃんと見れていなかったからか
たくさん気づいたことがあって。



私は自分のことで精一杯で
彼のことをちゃんと見れてなかったんです。



毎回毎回私に怒ってくる彼に対して、私はちゃんとしないとと思ってずっと気持ちが張ったまま会っていたために、余裕がなかった。


それに、お付き合いをはじめてから毎回怒ってくるから「楽しかった!」って思って帰れる日もほぼなかった。



それこそ、私は彼が求める「彼女役」
寄せなければいけない、
そうしないと、楽しくないんじゃないか

そう思い込んでいた。

でも、自分を自ら潰しきることもできず、
できないこともたくさんあった。



でもその時は彼が求めてる「彼女役」という意識は全くなく、そうすることが普通なんだ、「正解」なんだ、と思っていました。



でもその役に打ち込むことにより、
私は「私」を失うし、つらくなる。



私が「私」になれたとき、初めて彼をちゃんと見れたことで、色んな後悔もありました。

そこで、私は考え直そうと思っていましたが、
彼はそうではなかったようで、
短い間でしたが、終止符を打つことにしました。




でも彼のその屈折した性格の裏には、
絶対に何かきっかけがあると思いました。



彼はほんとは優しい人です。


本人も自分のことをクソ野郎だと言いますし、
私が彼の話を他人にすると
100%の人が「クソ男だな」と言いますが、
私はそうは思ってません。


だからこそ、私が人生ではじめて「この人の前でなら泣ける」と思って一度だけ弱音を吐いて泣けた人です。


なのに、言い回しを変えて人を傷つける、
ある意味「プロ」だと思います。笑

私の弱音を大きく両手を広げて、
包み込んでくれる人です。


人には「自分のプライドを捨てて、弱音を吐け」というくせに、自分のプライドは捨てられず、自分の弱音を「それはネタで言ってるだけだ」と言う人です。



ネタで毎回同じ弱音が出てきますでしょうか。

出ないと思います。


世の中にはこんな「キャラクター」もいるんだと
初めて知りました。



強がってしまう彼に
どうにかして寄り添ってあげたいと思いました。

でも私のそんな思いも通じませんでした。

私はやり切れない思いでいっぱいです。



彼は緑黄色社会の「キャラクター」の歌詞の意味を知る前から、私に教えてくれていました。

役を演じずに自分を出すこと。
それが一番いい関係になれるということ。


私にはそんなことを教えてくれたのに、
私は何を彼のためにできたのだろうか、
彼に伝えられたのだろうかと思うと、
悲しくてたまりません。

今まで出会った人の中で、
一番短い期間で様々なことを教えてくれたのは彼です。

そんなに中身のある会話もしなかったけど、
彼のどの感性も私は面白いと思いました。



また会える時がきたら、私も彼のように大きく両手を広げて、彼の気持ちを包み込めるような人になってるといいな、と思いました。

そんな時がきたらどんな関係であっても、私は彼の弱音を、正直な気持ちを聞いてあげられるといいな。


まとめ

今日もキャラクターを聞く度に彼を思い出し、
自分を重ねてしまう私。


様々なキャラクターがいる中で生きている私たち。


その人はそういうキャラクターなんだ、と思うことで、「この人はどうしてこうなんだろう」と深く考えることも少なくなるような気がしました。

これからは自分の「キャラクター」で、
この大きな「舞台」の上で
芝居なし、台本なしで、
私たち「キャラクター」が起こす“奇跡の日々”と共に
色んなことがあると思いますが、
一生懸命人生を歩んで行きたいと思います。

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