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私は何者か?を探求するー私はなぜ今ここにいるのか?

 個人事業をしている友人に「セルフブランディングってどうやるの?」って聞いてみたところ、手段は色々あるけど、自分を知ること探求することからスタートだって聞いた。
確かに自分って意外と分からない。「なんで今ここにいるの?」「なんでこんなに挑戦し続けるの?」「なんでこの仕事を続けてるの?」ー表層的な回答は出てくるけど掘れば掘るほど答えにくく、その分自分が見えてくる。見たくない自分も矛盾も。

せっかくなのでまずは自分に「なぜ」を5回向けてみた。
さて何が出てくるかな?笑


1. なぜ今、この仕事をしているのか

 言葉選ばず言うと「ちょうどよい」から。今までの経験を活かしながら、環境を変える、個人で生きる(活きる)力を磨ける。息子たちが10歳になるまでは子どもと出来るだけ一緒に過ごしたい、でも細くても着実にキャリアを積み上げたいので、環境は変えたかった。そう考えると、職種や業界を変えるメリットが今の私にはない。そもそも、熱烈にやりたいと思える職種や業界があるかというと特に無いし、今の仕事が好き。(多分別の仕事をしていても同じように好きなんだと思うんだけど)

2. なぜ前職同業の「ミライフ」に来たのか

社長のスケさんに出会ったから 笑
そもそも同業に転職して同じ仕事をプレイヤーとしてまたするとは思ってなかった。というか転職するともあまり思っていなかった、ただ漠然と「もう少し個人として強くなりたい、成長したい」という思いと焦りがあった。
出会った当時はミライフに明確な事業拡大計画もないし、競合とのシェア争いもない。ただ「自然と」相手と向き合って相手のためになることを顧客にもカスタマー(転職をご相談下さる方)にも提供していく、その中で自然と大きくなって、自然と仲間が増えていく、というこの「自然な」感じが惹かれた。こんな風にビジネスをして、こんな風に生きたいと思った。

決定打は社長がモンテッソーリ教育を受けていたこと(笑)
私自身、モンテッソーリとアドラーの考えを子育てにおいて取り入れ実践していたので、自由と規律をバランス良く学習することで息子たちが幸せに社会生活を送れるようになると信じています。だから、モンテッソーリを受けて育った大人(おじさん)が実際どんな感じに生きているのかとても興味と期待があった。

3. なぜ「自然な」感じに惹かれたのか

自然=ありのまま、に近いと思っています。
子どもが生まれてこの「ありのまま」の価値を感じるようになりました。保育園で一緒に生活するお友達、発達も、個性も、みんな違う。純粋に可愛いな、尊いなと思った。うちの長男は言葉の発達は早かったけど、小柄で体の発達は遅かった、でも、それでも可愛かった。誰かと比べて小さいとか劣ってるとか思いたくなかった。そこから人間の違い全てが愛おしく思えるようになった。
仕事に行っても、組織を見る目が変わった。仕事が遅い部下も、マウントしちゃう上司も、トッププレイヤーでブイブイ言わせている同僚も、その違いがあって絶妙なバランスで組織が成り立っていて、全ての個性に意味があると感じられて楽しかった。バランス良く重なるハーモニーも、ぶつかり合う不協和音も含めて、違いが美しかった。

その違いに意味を見出して、もって生まれた個性に愛を注いで勇気づけをするのが、自分の使命だと感じた。
(それは、個性的でなかなか集団や社会に馴染めなかった私を、友人たちが惜しみない愛情によって生かしてくれた、友人からもらった愛情の恩送りなのかも知れない)

4. なぜ私は「不自然に」生きたのか

自然な環境に惹かれたということは、その前は私は「不自然さ」を感じていたのだと思う。ただ今思うとそれは「自然」に巡り合うために必要な不自然さだったと思う。
私の不自然さは「シェアを取り自分たちのサービスを広めたい」にあった。正直な性格なので嘘をついた覚えはない。当時は本気でそう思っていた。
 でもそれにはそう思うまでのプロセスがあった。新卒で入社して競争社会に馴染めなかった私は自分の弱さを嘆いた。強くなければ誰も助けられない、だからビジネスの世界で強くならなければいけない。ただ闘うことは本当は好きではない、だったら闘う意味を見つけよう、今救えていない人を救うため、利益を上げてサービスを拡大するため、自分たちがしている良い仕事を世の中に広めて社会を良くするため、そのための影響力を持つため、

だから私は、自分の担当領域でトップを取る。闘う。

私は私の目的のために不自然さを選んだ。この不自然さは私を強く自由にしてくれた。でもその不自然さに飲まれてしまった部分もある。成果が出る、認められる、求められる…そうして作り上げてきたタイトル沢山「強くてカッコイイ私」はなかなか居心地が良かった。でも私の中には「自然に生きたい私」もいた。

子どもが生まれて自然に生きたい私を呼び覚ましてくれた。呼び覚ましてしまった。だから、不自然さを多少まとってでも成長してきた私と自然に生きたい・活かしたい私が共存出来なくて、30代後半のキャリアのモヤモヤになったんだと思う。

「さなちゃんがクイックを辞めると思わなかった」
みんなに言われた。私もです(笑)不満もなかった、あったら言ってた。会社は変わってくれたし、変わらない部分は合意の上で、私が変える(変えなきゃ)と腹をくくってた。
 私が同業に行ってプレイヤーをするという不思議な転職をしたのは、職種でも条件でも無くて、この自然に生きたい私を開放するという衝動だったのかなと思う。転職を決意する数ヶ月前に友人と飲んでいて「さなちゃん、どこまでクイックで頑張るの?もう充分すぎるほど頑張ってきたよ。」と言われてボロボロと涙が止まらなかったのは、自然に生きたい私の涙じゃなくて、不自然さをまといながらも理想に向かって上り詰めてきた私の涙だったのかもしれない。(気づいてあげられなくてごめんね)

5. 今なぜ、幸せと感じるのか

これは、全ての私を受け入れうまく共存出来ているから。
クイックの時も、ミライフに入ったばかりの時も「さなちゃんてエモいのかロジカルなのか、不思議だね」と言われていた。私も私ってそういう変な人なのかなって思ってた。
ミライフに入って1年くらいたってから、社長のスケさんに「さなちゃんの中にはいろんな役割の人がいて、ルームシェアしてる感じ」というFBをもらった時に、ああ・・・なんて素敵な表現なんだろう、と思った。

ルームシェア。

今までは、私の中に誰が住んでるか私も理解出来てなかった。正直な性格だからその都度いろんな自分が出てきて、出てきた自分に合わせようとするから、良くわからないくらい厳しくなったり、共感しすぎて泣き出したり。
得体のしれないお隣さんと住んでいる、近所付き合いの無いアパート暮らしのような、少し不安定だった、でも必死に駆け抜けてきた30代までの私。

今は。
みんな仲良く暮らしている、ルームシェアしている、私。今どの私が出ていくのがいいかも何となく分かる。そして周りにいる人もそんな私を理解して面白がってくれている。贅沢な暮らしは出来ないけど大好きな人達と幸せに包まれる、今の生活を気に入っている。

おわりにー探求の先に見えた矛盾と共存

内省を深めると、私の中の矛盾と向き合う羽目になった。
でもそれを剥がしていくと、矛盾しているようで、一貫して自分らしくもがき生きていこうとする私の姿があった。

そして今はその矛盾も含めて抱きしめることで幸せを感じられている。
だから私は、自分らしく生きたいと葛藤する人のちからになりたいと思っているし、息子たちの自分らしさにもこだわるし、らしさを活かすための努力をし続けるんだと思う。

ぷはーーーー。疲れた!
転職活動中の皆さんにしてもらってるけど、内省って疲れるなあ。

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