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101歳のおばあちゃんのはなし
わたしのおばあちゃんは、今週101歳の誕生日を迎えた。
去年、100歳の誕生日のときは、家族5人でおばあちゃんに会いに行った。
わたしは「おばあちゃん、おめでとう」と言いながら、車椅子にのってニコニコしているおばあちゃんを見ていると、なかなか涙をこらえるのがむずかしかった。
我が祖母ながら、おばあちゃんはめちゃくちゃ健康で元気である。施設で暮らしているけども、1人でご飯も食べられるし、骨折した話も聞かない。
それでも、おばあちゃんの家で早起きして一緒にお茶を飲むことはもうできないんだなあ、と思うと、どうしても寂しさを感じてしまった。
小学生の時は、毎年年末に家族で東京のおばあちゃん家に行った。
めちゃくちゃ味付けの濃い煮物と、居間の畳の上に置かれたトースターで焼いたお餅を、年季の入ったコタツに潜って食べた朝ごはん。
1月3日には親戚のみんながやってきて、お寿司を食べながらお年玉を貰った。
小学生3人を連れて両親は必ずディズニーランドに連れていってくれた。
わたしはまだみんなが寝静まっているところを早起きして、木造の階段をギシギシいわせながら祖母のいる畳の部屋に行った。
そうすると、おばあちゃんは着替えている途中で、薄っぺらい服を何枚も重ね着していた。
着替え終わると、給湯器から日本茶を入れてくれて、お菓子の缶の中にしまわれているお煎餅やらを出して貰って、朝のお茶会をした。
小学生の私と、耳の遠いおばあちゃんと、大した話なんてしたはずもないけど、あの時間が心から好きだった。
玄関先には、はんこ屋だったおじいちゃんの仕事机が残っていた。2階には、おじいちゃんの部屋に繋がる秘密の扉と、日本人形が鎮座する箪笥があった。
窓はキュルキュル回しながら鍵を開けるタイプのやつで、台所の横には勝手口があった。
お兄ちゃんやお姉ちゃんが両親と出かけている間、わたしはおばあちゃんと2人で駄菓子屋に行って、お菓子を買って貰った。
おじいちゃんはわたしが産まれる前には亡くなっていたので、おばあちゃんは二階建ての木造の家に1人で暮らしていた。
3.11の時に、お家もおばあちゃんも無事ではあったけど、もうひとりは危ないから、と千葉のおばさんの家に行くことになった。
おばあちゃんの家はもう取り壊されて、いとこの家になった。
もう、どうしても一生あの家でおばあちゃんと朝のお茶会はできないんだなあ、と思うと、寂しい気持ちは止められなかった。
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