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灯火

 僕は普段、コーチの支援業に加えギターのコーチもやっています(もともと
ギターのコーチが本業)。今後の展開は色々あるのですが、現段階ではギターコーチもやっています。

 だから、ギターの生徒さん(クライアント)と日々接しているわけですが、以前、こんな一言をいただきました。

私が落ち込んでいる時に、周りに頼っていいですよと先生に優しく声掛けしていただいたことは、一生忘れることができません。

私も、周りに落ち込んでいる人がいたら同じような言葉を掛けられる人間になれるように努力します。

Mさま

 コーチをやってて良かったと思える瞬間です。こんなこと、普通に生きてたらまず言ってもらえません。

 僕たちコーチは対価を頂いて仕事としてコーチングをするわけですが、当然、お金という対価をいただかないとコーチ活動は運営できません。だから、お金のみが対価だと思うのが普通でしょう。しかし、僕たちがいただく報酬はそれだけではありません。

 こういう明らかに相手の中に起こる変化も報酬なのです。なぜなら、善き変化を相手の中に起こすお手伝いができたら、この方が今度は周りに価値をもたらすことが出来るからです。

 そのように世の中に益をもたらすような人材を支援しているという意味では僕たちコーチはある種の教育者とも言えると思うのです。もちろん、教育者と言ってもピンキリいるわけで。それは他所のジャンルと変わらないはず。生活のためだけににやっている人もいるんでしょう。

 でも、本当の教育者とは周りを感化し、啓発するものだと思うのです。自分の一挙手一投足が感化の可能性をもっているのが真相ですから、自分をちゃんとコントロールしなければいけない。

 これは、つまり修身といえます。ここで、修身と言ってもなにも戒律的な生き方をせよ、という意味ではありません。修身というのは自分を甘やかさずに、でも、自分の過ちを許し、改善し、自分を育て、整えつづけるプロセスです。

 自分に優しくできない人間は人に優しくできません。
自分の価値を自覚できない人間は人の価値を見抜くことができません。
自分を受け入れられない人間は人を受け入れることができません。

 自分の存在に感謝すること。
それは自分を作り出した親や先祖を敬うことにでもあります。

 そうやって自らと自らを支える全てを受け入れ、大事に慈しむ事を修身というのだ思います。

 さて。
「一燈照隅、萬燈遍照」という言葉があります。
自分が灯火となり縁あるものを照らしなさい。さすればその灯火に灯された人が又周りを照らすでしょう。そうなれば、世界は灯火で満たされる。
という意味です。大好きな言葉です。

 世の中には大きなことを言う人間が沢山います。もちろん、大志を抱くのは必須であり、それがないのはダメですが、実際の行いはまず一燈照隅から始まるのです。

 一燈照隅とは当たり前のことを当たり前にやることであり、周りと調和し平和を実現させよ、という意味のはず。

 つまり、換言すると、まずはあなたが灯火となりましょう、ということなのです。そのために必要なのが修身です。

 そして、灯火となったら縁ある人を照らすのです。そうすると冒頭の生徒さんのように新たな灯火が生まれるのです。
僕たちはまずは身近なところ(一隅)を照らそうではありませんか。

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