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2,500年前のネタバレ

上では他人の悪に対してフォーカスするのではなく自分にフォーカスをしたほうが良いよ、という話。

これを書いたあと、気づいたことがあります。それは…
「これ、すでに何千年も前にネタバレしてたな。」という気づき。

実は他人にフォーカスするのではなく自分にフォーカスせよ、というのは2,500年前にすでに教えとして存在しているのです。

それを修己治人といいます。
孔子から始まる儒学のコンセプトです。そして、これは現代の西洋人が大事にしているコンセプトでもあります。「7つの習慣」はまさに修己治人そのままのコンセプトです。7つの習慣でいう「インサイド・アウト」がそれ。要は自分から始まるということです。修己治人とコンセプトは同じだと思います。

そして、儒教と言えばその対極としてよく上がるのが道教です。老子から始まる道教は、自分とそれ以外の関係をもっと俯瞰してみることで自分をどう操縦するか?ということを言っています。

自分を操縦したければ、操縦するな。つまり、自然の成り行きに任せよ、としたわけです。それが無為自然。そんな無為自然なものの代表が水の在り方であるからこそ、上善如水…水のような生き方はもっとも善なる生き方だとしたのだと思います。その思想に影響されたのか、奇しくも同じだったのか、孫子も仏教もこういう考え方だと思います。

こういうことからも自分にフォーカスするということが他人も世界も変えていく、というのは2,500年前からネタバレしていたことなのです。

はるか昔からある教えなのに、実践はおいそれと出来ないことだったりします。そもそも、こういう理解に僕は一発でたどり着けなかったですから実践以前の問題がありました。最初は儒教も道教も孫子も仏教も全部別々のモノに見えてましたからね。理解も実践も難しい。求道精神がないと難しいと思います。

そういうものだからこそ、教え自体はずっと残っている。多くの人が「良い教えだ」と思ってもそれを活かすことが出来なかったからこそ教えそのものが価値あるものとして残ると思えてなりません。

僕たちはコーチをやっていくわけです。それは言い換えると他に影響を図らずと与えるということです。でも、そうしようとするなら、他人の刺激に惑わされずに自分にフォーカスする必要があるわけです。他人の悪を見た時に、そこに反応するのではなく「自分はこうはすまい」と自分にフォーカスすると他人の悪は感謝の対象になります。「これをしたらこんなに気分悪い事になるのにこの人はそれを実験して見せてくれた」となるのです。

こういうことを習慣づけておくことはコーチビジネスをスタートしてから地味に効いて来ると思います。結局、ビジネスはメンタルゲームの側面があります。自分のメンタルが整っていると有利に働くけど、乱れると不利になるのです。そういう意味でも自分を整えるというのは毎日やるべきことだとおもうのです。

あなたは自分を整えているでしょうか。


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