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涙のROCK断捨離 72.BRIAN_ENO「NEROLI」

ブライアン・イーノ「ネロリ」/BRIAN ENO「NEROLI」
1993年

このアルバムに興味を持つ方にとってのブライアン・イーノは、環境音楽(アンビエント・ミュージック)の第一人者としてのその人でしょう。
実際、彼の活動の歴史において、そのほとんどはストイックな音の追求にあると言えます。
なので、彼がかつではドラッグ・クィーンまがいのメイクとファッションでポップ・スターを演じていたというのは、実に意外性があって面白く感じます。
(日本のロックバンドすかんちのローリーの原型はここにあるのではないか、と思うほどのぶっ飛びぶりです。)

ロキシー・ミュージックにおけるキーボード奏者としての腕前はさておき、シンセサイザーによる音作りやプロデュースに関しては一目置かれ、バンドを離れた後もトーキング・ヘッズをはじめ、最近ではコールド・プレイなどまで、数多くのアーティストから頼りにされています。

そうした活動をこなしながら、自身の追求する環境音楽の作品作りは継続していて、今年に入ってからも弟さんとの共同名義で新譜が発表されました。

さて、この「ネロリ」ですが、彼のアンビエント・ミュージックの作品としては、共同名義のものも含めて、だいたい25作目くらいのもので、環境音楽というテーマの「ひとつの回答」といえる作品です。

そのわりには、あまり有名ではありません。
長く同じ課題に取り組んで、その作品数も多いですし、そもそも現代音楽の、特にアンビエント・ミュージックなんて、どれも似たようなものだと切って捨ててしまえば、あらためて「ひとつの回答」と言ったところで、注目されるわけでもないでしょう。
ただ、私は久しぶりにこのアルバムは気に入りました。

アルバムは、全1曲、57分56秒。
エクスパンデッド・エディションですと、ボーナストラックとして、もう1曲、61分24秒が付いてきます。(何がボーナスなんだか・・・。)

いわゆる音楽の要素、リズム、メロディ、ハーモニーはありません。
テンポ感やフレーズ、ダイナミクスのような感情を刺激する要素も、極力排除されています。
耳に入ってくるのは、キーボードで作られたであろう、穏やかな音色だけ。
ただ、音が音として鳴っています。

地球が自転する音や、自分自身の心音など、鳴ってはいても聞こえない音があります。
セミの鳴き声や街の喧騒など、騒音として無視したとたんに聞こえなくなる音もあります。
環境をデザインしている要素として、形や色と同じように音というものがあるとしたら、環境のために音をデザインするということはどういうことになるでしょう・・・。
この「ネロリ」は、いくつかの産婦人科における環境音楽として採用されたそうです。

波の音に何を感じるかは波の音に意味があるのではなく、ただ聞く人にゆだねられています。
聞いて何かを感じてもいいですし、雑音として無視することもできます。ただ、音はそこにあるだけです。
曲という概念がなければ、曲のはじめと終わりも不要でしょう。

何を聴いても同じようなアンビエント・ミュージックですが、実は興味を持って聴き比べると、それぞれに違いがあって、好き嫌いも感じるから不思議です。日本海の波の音とモルディブの波の音は、同じ波の音ですが聞き比べてみると確かに違います。
好き嫌いはあるでしょうが、ここに音楽的な何かを求めても、得るものはありません。
ブライアン・イーノは、聴く人を感動させたり、興奮させたり、哀しくさせたりはしてくれません。
こんな音が鳴ってたら良くね?と、今まで誰も聞いたことのないような、「人工的な自然音」を作り出しているのです。


CDをかけるという行為からも自由になった現代のような聞き方は、
環境音楽に向いていると思えます。

Spotifyで聴けます。
https://open.spotify.com/album/0DqYYRq6SpGWVLgyFc7wPt?si=90Vn06KUT7C9cwb5vp18vw


写真の使用許諾に感謝します。
Photo by Nico Mksmc on Unsplash