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【エッセイ】白と黒とマイク

ふと思い出す。

2016年の12月、
怖いニュースが入って、不安でたまらない年末になった。

その月は、1年で最も大きな賞レースを終えて、後はアナザーストーリーを待つだけが、お笑いファンとしての年納めとなった。特に、2016年といえば、劇場で長く応援してきた銀シャリが、彼らの渋くて緻密な話芸を詰め込んだ漫才が、その年、日本一になった。そして、その1つ後輩にあたり、銀シャリが可愛がってきた和牛が、華麗な敗者復活を遂げ、綺麗な新衣装と共にMの間を2度せり上がるという、両2組のファンとして、熱すぎる戦いを見たその余韻の中にいる、そんな年末だった。

しかし、M-1の熱も冷めやらぬ12月11日、
自分をこれほどにも漫才好きにしてくれた漫才師が、ニュースの一覧を埋めつくした。衝撃という文字の画数でも足りないくらいの衝撃だった。もちろん、不安でたまらなくなった。そこからの数日で、いくつものメディアがいろんなことを書き立てた。番組での出演シーンカット、記事へのコメント、SNSの通常時以上の炎上、多くの非難の声も目に入る。

捕まるの?石田さんは?今どうなってるの?相手の運転手さんは?どのくらい怪我させてしまったの?そもそも本人が運転してたの?同乗の武智さんは?どうなっちゃうの?この間まで銀シャリと和牛の隣に立ってたよ?嘘?やっぱりドッキリ?

当然、受け入れるのに、時間がかかった。
いろんな心配がある中で、何より、

今後、NON STYLEはどうなるのか

が、とにかく頭の中をぐるぐる駆け巡り、いろんな想定をして、状況的にも最悪最低の結果も考えるしかなかった。
そもそも、2015,6年あたり、NON STYLEの人気と共に、井上の女子高生人気が一気に上がり、カレンダーの発売やプリクラ機とのコラボ、LINEスタンプの発売など、目立ったピン仕事が増えた。もちろん、NON STYLEとしての仕事も多かったし、全国ツアーはあり、通常寄席での漫才などもあったが、時々バラエティ番組でみる2人は、ファンの目からすると、不仲が目立った。漫才にあまり重きを置かずメディアの仕事に力をいれる井上と、漫才・舞台を大切にしたい石田の間に、確実に亀裂が走っている音は、多くの人に聞こえていたと思う。このままだと、漫才を辞めてしまうかもしれない、そんな思いが募っていた年でもあった。
そこで、この事件。
解散という2文字も、自然と考えてしまう自分がいた。

その後、石田のコメント、井上のコメント、吉本のコメント、そして、刑事処分が出るまでの活動自粛と決まった。

13日には、ダウンタウンの松本人志が「ガンバレ石田!」とつぶやいてくれた。何も考えられずに涙が出た。今1番大変で苦しいのは、相方・石田であることが、波のようにザァッと押し寄せて、自分が慌てふためいてどうする、今NON STYLEの看板を1人で持たされてる人がいるんだ、と考えさせられた。

そう思いながら情報を待つこと4日。
約10年もその姿を見てきた、2人マイクを挟んで左側に立つ真っ白の彼は、黒いスーツと黒いネクタイで、多くのマイクの真ん中に、1人で立っていた。
フラッシュの中に頭を下げる彼に、どんな感情が溢れたかは、今持つ言葉でも説明ができない息苦しさだった。
それでも、相方の人生を背負い、復帰を待つと宣言した彼に、3ヶ月だって、半年だって、1年だって、また10年だって、ついて行こう、NON STYLEがサンパチマイクの前に戻る日まで、いくらだって客席で待とう、と強く思った。「ガンバレ石田!」の7文字を常に心に持ちながら、2017年を迎えた。

楽しみにしていた年末年始のネタ番組は、全て飛んだ。その代わりに、ひな壇に経つ石田は、隣が不在なことを常にいじられ、絶妙な相方の悪口と自虐で返していた。それでも、本人と連絡していることや今どんな状況かを時々話して、ファンを安心させてくれた。そして、ひとたび舞台に立てば、急を要してやることになったピンネタに、ほとんど、いや、全てに、相方の話を混ぜた。相方をいじり倒して、事件をいじりまくって、最後には「次は漫才を見に来てください」と言って頭を下げた。
石田の誕生日がある2月も、NON STYLEは1人の状態で、過ぎていった。

3月になり、井上の誕生日を1週間過ぎた頃、3ヶ月ぶりに、彼がマイクの前で話す姿を見た。違和感があった。久しぶりに見たからなのか、大人にしては泣きすぎていたからなのか、自粛明けなのにちょっと太っていたからなのか、頭を下げるのが長すぎたからなのか。まだ、復帰の話がはっきりと出たわけではなかったが、それでも、画面の中で声を発している彼を見て、少し安心した。
その月末、石田と可愛がっている後輩のネタライブがあり、やはり、ピンネタでは大いに相方をいじり、ちゃんと笑いを取っていた。最後のネタでは、井上の出した「Day of the Legend」の曲が流れ、「細かいところまで石田さんやな」と思わせられた時、舞台が暗くなった。

スクリーンに映し出される「NON STYLE 漫才」の文字。
白いスーツと黒いスーツの2人が歩いてきて、舞台に置かれたサンパチマイクを挟んで、立つ。

わーとかきゃーとか涙とか笑いとか。それの前に、
白い石田と黒い井上と間の1本のマイクを見て

「そうそう。これがNON STYLE。」

そう思った。
黒ネクタイも1人でひな壇に座るのも全然似合っていない石田も、長いこと画像でしか見られず、リポートマイクに囲まれた井上も、ここ3ヶ月ずっと、それはそれは、違和感があった。

2人でNON STYLEで、2人と1本で漫才師NON STYLEだから。

正直そんなに大切な復帰漫才、当初の記憶は全くはっきりしない。色んなことを考えすぎて、ほとんど泣いていた記憶しかなく、正直漫才としてちゃんと見られたのは、後からニュースで映像が流れた時だったが、その復帰漫才が終えた後、

「そうそう。これが自分が好きになった漫才なんだ。」

と思ったことだけは、はっきりと覚えている。

今や、結成20年を超えて、正式なファンクラブもでき、週に1回Youtubeに漫才が上がり、2ヶ月に1回ネタ収録をし、年に1回全国ツアーをしている2人を、未だ応援し続けている。
それは、彼らが2000年にコンビを結成し、2008年に漫才の日本一を獲り、2016年を耐え、2017年に舞台に戻ってきて、2021年まで解散せずに互いに隣に立ってきてくれたからこそ、できることである。
過去1番の解散危機にあった2016年から2017年にかけて、井上が戻ってくることを待つと決めて、帰る場所である隣を用意してくれた石田にも、そんな石田の横に立てるまでちゃんと待って、舞台から石田の隣から再スタートを踏み出した井上にも、感謝でしかない。
後に、「漫才疎かにして、目立った仕事ばっかりして、ほんまに嫌いやった」というあの時期に、そんなに嫌いになっていた人でも、離れた後にも、本人と連絡を取り、その家族にも連絡を取り、相方として二人三脚のバンドを外さずに、全力で走ろうと決めてくれた石田の覚悟は、真似しようにも出来ないと思う。

こうやって、石田の方をちょっと多めに褒めておかないと「あれは全部俺のおかげやからな!」って言い出すし、井上のことも少しは触れておかないと「俺が悪かったけど、俺も俺できつかったぞ〜?」と言い出して、大抵痴話喧嘩になるから、バランスよく書いておいた。
先日アップロードされたYoutubeでは、「ネタをアドリブで変更して井上をいじろうと思ってた」という石田に「事前に間違い箇所を聞いてたからそのくだりをカットした」という井上で喧嘩してたり、「漫才中の汗だくな石田になんとなく叩き突っ込み出来ない」という井上に「じゃあ防水スプレーしろよ」という石田でまた喧嘩してたり、「ネタ書き直すの大変やから労いの言葉とギャラが欲しい」という石田に「びた1円あげたくない!」という井上でまたまた喧嘩してたり。

喧嘩ばっかしている。
でも、それを見ながら、この時間がずっと続いて欲しいと願っている。この時間があることの幸せを、今になって、とにかく噛み締めている。

彼らが今、そうやって向かい合いながら笑っていても怒ってても漫才や漫才の話を出来ているのは、正直なところ、2016年があったからだとも思える。相手の運転手の方にはご迷惑をおかけして、業界にも迷惑をかけた、決して起きたことを正当化することは出来ない事件だったが、今考えると、自分の中でのNON STYLEの歴史には必要な1ページだった。

なぜなら、自分がNON STYLEを好きな理由として、

「漫才が面白いコンビだから」
という理由を差し置いて、

「漫才を大切にしてるコンビだから」
と堂々と言えるようになったからだ。

だから、ファンとして常に思っていて、今改めて言いたいのは、

石田さん、井上さん
漫才を、2人でやる漫才を、NON STYLEの漫才を、
大切にしてくれて、ありがとうございます。

この一言に尽きる。

見飽きるくらい見てきて、なんの違和感もなく、ただただ見慣れたこの景色を、やっぱり、この先いつまでも変わらず見ていたい。

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