花火大会
毎年、近くの花火大会が結婚式を挙げた日とほぼ重なる。だから私たちはその日を結婚記念日と呼んだ。
いつだったか、普段は多くのことを語らない主人が、「花火職人になりたかった」と話してくれた事があった。
そんな彼に似合う日だと思う。
結婚して2年目くらいだったか、ささやかだがお祝いをと、食事の用意をしていると
「ドン ドン ド~ン」花火の音が聞こえてきた。
「あ!!今日は花火大会だった!!」
そう言ったか言わないか、娘を自転車にひょいと乗せて、花火の音のする方へと走り去って行った。
用意した食事。
残された私は、目盛りの入ったろうそくに一人火をつけて、炎が一年分の思いを溶かすのを見ていた。
次の年からは、この花火大会に行くことが 一緒に年を重ねているお祝いとなった。
足早に時は流れ、20回目の花火大会。
いつだったか近所の店先に並ぶローストビーフを買って、それが妙に美味しかったので、
行きながら調達するのが私の中では恒例となっていた。
それとカマンベールチーズと数本のビールと カクテル。
折りたたみの椅子を肩にかけ、
そんな寄り道も花火大会の大切な思い出のひとつになるのだ。
だが、彼は何年経っても駆け足だ。
とどまること、立ち止まることが苦痛の様にさえ感じさせられる威圧感だ。
常に先へ先へと進みたい。
だから彼の中には「寄り道」はない。
出掛ける前に「すっ」と家を出て自分の飲むビールとつまみをコンビニで買ってくる。 「時間短縮、スムーズに事が運ぶ」と。
「思い出を作る」とか「同じ時を重ねる」という温かい時間より、ミッションなのか?
ドンとお腹に響く花火を見る、それが
彼の心を満たす一時。
彼の目的に家族が添え物の様に
ある気がして。
ちぐはぐだった。最初から。
少しのズレは、だんだんと
「セロリ」の歌ではどうにも収まらないほど
大きなズレとなっていた。
どちらかが歩幅を合わせようとしない限りかみ合うことはないとわかっていながら、
合わせることすら面倒になった二人はとうとう帰り道もばらばらになった。
電車を降りた駅は、行きよりも帰りの混雑が予想され、駅員や警察総動員の狭く曲ったホームを考えると、ひとつ先の駅、もしくはふたつ先まで歩く事が賢明だ。
ひとつ目の駅を越えるあたりでたわいない会話から軽い言い合いになった。
そこから彼の背中がどんどん遠くなり、 とうとう見えなくなってしまった。
駅に引き返すにも、もうとっくに過ぎてしまったし、昼間も出掛けていたので足が痛かった。
「仕方ない、このまま歩くか・・・」
真っ暗な道を一人で歩くのは少し心細かった。
携帯の充電は写真をたくさん撮ったせいで 残りわずかになっていて、不安を更に強くするのだった。
軽い言い合いとは、前を歩いていた彼がいくらか猫背気味で、肉厚の背中を見ていたら 「この背中が20年私を養ってくれたんだな」 そんな事を思った。
その敬意と、互いに年を取ったのだなとの感慨深い「お父さんの背中、首の下に肉ついてるね」 の変化球だったんだけど、
結婚した当初から彼には「直球」しか伝わらない。
もう20年も経っているのだから、私も学習すればいいものを、やっぱりそんな言葉でしか伝えられないのだ。
想像力を持ってすれば、または、ほんのちょっとだけ思いやりを持てるならば。
こんなやり取りは軽く笑いで流すことも出来ようにと思う私と、何年経っても瞬間湯沸かし器の様に火がつき湯が沸く彼とでは、
噛み合わない自分達が自由でいられる相手なのかもしれないと、都合よく考えることで
紙切れ分の繋がりが保てていたのかもしれない。
何度も花火大会に行ったが、家まで歩いたのは初めてだった。
いままでは2人の子供も一緒だったからか・・・
こうしてすこしずつ変わっていく家族のかたちをゆっくりと考えるのにはいい「ひとり時間」かもしれない。
そんな風にも考えながら進めば、祭りのためのパトカーと何台かすれ違い、いつの間にか暗がりへの不安はなくなっていた。
ようやく家にたどり着いた。
「買い物に行かないか」誘われて二人で出掛けて行っても「俺の用は済んだ。あんたもう少し見たかったらいいよ。俺、先帰る」
一人で帰ってくるなんて何度もあったこと。
「カチャ」
玄関を入ると彼の白いサンダルはなかった。
花火の思い出といえば・・・・。
彼の地元での花火大会にも毎年行っていて、 その花火大会は私たちの結婚した年に始まり お義父さんが亡くなった年が最後となった。
義妹家族と私たち家族。
実家からそれぞれ30分ほどの距離に住んでいるので孫5人の集まるにぎやかなひとときだった。
お義姉さんの里帰りが重なれば孫9人の大騒動。花火大会に行く前から家の中がごったがえしていた。
お義父さんと一緒に消えた彼の地元の花火大会。
ただでさえこころがざわめく8月に、
夏の夜空に咲く花への思いは桜への思いとよく似ている。
故に儚くて美しい記憶となるのだろう。
20回目の花火大会は風がほどよくあって、さらっとした夜だった。
いままで撮れた事のないような写真が撮れた。 花火が上がると大きな声をあげてはしゃぐ彼がいた。
そんな彼を見たことがあっただろうか。 子供の手が離れて、父親の顔ではない彼の横顔。
それはかつて花火職人を夢見た、花火好きの少年の顔。
ナイアガラの滝がはじまり、花火大会は終わりを告げる頃、駅に向かう人が動き始めた。
花火が終わって少し人が引くまでその余韻を味わうのも悪くない。ずっとそう思って来た。
最後の大奮発。大盛り上がりの連発花火は、 今年も椅子をたたみ支度をしながら後ろを何度も振り返っての見物となった。
わたしたちの思いはやっぱりちぐはぐで かえりみちはたがいに別の道を歩いていた。
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