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井の中の蛙でもいいのでは

「井の中の蛙から抜け出して」

先日、インターンのキャッチコピーにそんな言葉を見つけた。

井の中の蛙大海を知らず。
狭くて閉じた世界観の中にあり、広い世界を知らないさま。また、そのような状態にある人。井蛙。
Weblio辞書「井の中の蛙」


井戸の中の狭い世界で1番になったって、意味が無い、そんな使われ方を聞く事が多かった。

しかし、果たしてそうだろうか?


ネットやSNSが発達した現代では、自分が世の中で1番だと認知することの方が難しい。

どこかで1番になれば、必ずその上が現れる。
世界1位は世界に1人だけ。70億分の1になれることを見つけられる可能性は、一体どれくらいだろうか。


ここでひとつ、立ち止まって考えてみたい。

そもそも、70億人中1位になる必要って、どれくらいあるんだろうか?

むしろ「コレじゃない、コレでもない」と取っかえ引っ変え自分の向いているものを探すことが果たして正解なんだろうか?

大海を知って、自分の強みがなんだかちっぽけに感じて、別の強みを探して。そんなフラフラ状態だと、結局何にもならないんじゃないか。

井戸の中で、もし1番になれたなら、視座が自然と上がって、自然と大海を知れるようになる時代じゃないだろうか。

「井の中の蛙から抜け出す」ことが、本当に適切だろうか。

大海を簡単に知れるようになった現代では、むしろ井戸の中に没頭して、ひとつの事を極めきれる人の方が重要な気がする。


私と同じことを考えた先人が、どうやらいるらしい。

「井の中の蛙大海を知らず、されど空の深さ(青さ)を知る」

されど以降は、後に付け加えられたそうだ。

空の深さ・青さは井の中で居ることを極めたからこそ見れた世界を指す。

大海を知らずとも、1つを自分の納得いくまで極めていく若者が増えれば、と感じる。

いつも読んでくださってありがとうございます。