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9.私が熱さにこだわる理由

私のキャッチコピーは「沖縄一熱い女子大生」にしてる。
でも別に「さむ熱いからこれにしなよー」なんて言われたことない。
というか、この名前にするまで「熱い」なんて言われたことがない。

「じゃあなんでそんな名前なの?」と聞かれれば答えは明白。

「熱い女になりたかったから。」


今日は、私がなぜ「熱くなりたい」と思ったのか、熱さにこだわるのか、を話していきたい。

熱さとは

そもそも私が言う「熱さ」って何だろうか。

熱いに基準はない。だから、つくる必要がある。

私が思う「熱い人」はこんな人だ。

・自分の信念や叶えたい想いがある
・それについて明確に自分の言葉で語れる
・誰よりもその人が率先して行動している

この3つの条件を満たしている、むしろあふれているぐらいの人が私の思う「熱い人」だ。
私もこの3条件を満たしていきたいと思う。

あなたもありたい像があるなら、まずはいったんその意味を考えてみよう。

「熱い人間になりたい!」だったら行動の移し方がわかりにくいが、まず信念を持ち、それについて語ることから始めればいいのだとわかるだけでぐっと熱い人に近づける。



熱い人が他の人を動かしてきた

熱くなりたい1番の理由が、いつの時代も人を動かしてきたのは熱い想いを持った人だったからだ。

例えに、時代も年齢も全く違う2人の話をしたい。


1人目は、私が現在所属している学生団体・RISE OKINAWAの発起人について。

彼は自分の想いを語るのが本当に得意で、私がこの団体に入るときも彼の「俺はこういうことがしたい」というビジョンに引っ張られてはいった。
大学1年生のころから学生団体の立ち上げなどを経験し、様々な人を巻き込みながら行動していった。

驚くのはその人脈で、今帰仁村(なきじんそん)という沖縄北部に位置する村の観光大使にお願いされてナイトパーティーを企画したり、活動中のRISE OKINAWAでは社会人の方々が、私たち学生の想いを実装してくれたりしている。
彼の周りの人々も、彼の熱さに惹かれているのではないかと私は思う。


2人めは、私の母校の高校を設立した、友國晴子という女性だ。

母校は、私の在学中に創立130周年を迎えた伝統のある学校で、設立当初から女子校だったという。
少し想像していただければわかると思うが、130年前といえば戦前。「女子に教育なんて必要ない」と当たり前に言われてきた時代だ。

創立当時は2人しか生徒がおらず、何十年も偏見や批判と戦っていたとして、今でも語り継がれている。

友國先生がなんとか苦境を乗り越えることができたのも、彼女の夢に対する熱い気持ちと、それを聞いた周りの人たちが「何かしてあげたい」という気持ちがあったからだと思う。


以上の2人のような事例があなたの周りにもいるんじゃないだろうか。

夢を周りに語り続け、応援される人。
周りの人を、自分の夢に巻き込み続ける人。
そういう人に私はなりたくて「熱さ」を名乗ることにした。



なぜ他人を巻き込みたいのか

夢を語って、他人に応援されたいのは分かった。
でも、なんでそこにこだわるん?
と思った方がいるかもしれない。


その理由は、私のチームスポーツの経験がもとになっている。

私が考える「チーム」とは、「いい部分を伸ばし合い、苦手な分野はカバーし合うもの」と定義している。

これは、私が中高時代にバスケをやっていたことに由来する。

私はバスケ部に所属して5年間(中高一貫校なので中3での引退なし)バスケをやっていた。

もともと足が速いタイプではなく、運動神経は運動部にしては低いくらい、身長も153㎝と、バスケ部にしてはかなり小さいほう。
それでもその能力をカバーすべく練習していたが、どうしてもカバーしきれない部分はあった。

しかも、私の学年が一番上の時は、チームで6人しかおらず(バスケは5対5の競技で一時期は5人にまで減った)「能力ないんです」なんて言ってられなかった。

それでも特にもともとある身体能力が強く出るオフェンスはなかなか貢献できなかった。
高校に入ってからはシューターを任されるようになったが、特に後半期不調だったのと、ゴールに近い側でシュートを狙う方が確率が高いということも貢献できていないと感じる要因の1つだった。


でも、人数に甘えることはしたくなかった。
私たちが知っている代で市の代表にもなったことないチームだったが、本気で「近畿大会でような」と言い合っていた。その仲間と一緒に戦っていきたかった。

私が貢献できたのは、ディフェンスの部分だった。
特に監督がディフェンスを教えるのがうまかったこともあり、その話を聞きながら、自分の苦手なオフェンスのタイプをどうやって止めるかを合同練習などで試行錯誤しながらやっていった。

正直、楽しい部分も強かった。
監督が、県1位の学校の先生と仲が良く、たまに合同練習もしていた。
県1位のチームのメンバーに、オフェンスでは勝てないけどディフェンスでは勝てる。それが自信にもなっていた。

自分がオフェンスで貢献できない分、ほかのチームメンバーの苦手なディフェンスの形にはフォローも入ったりして、それでボールがカットできた時は本当にうれしかった。

結局、近畿大会に出るどころか、最後の大会でも1回戦敗退だったが「自分の得意な分野でチームに貢献する楽しさ」を学べたのは大きかった。


話を戻すと、私が人を巻き込みたい理由は「苦手なところは補い合いたいから」というのが強い。
甘えのように聞こえるかもしれないが、正直苦手な分野をやってマイナスを出すくらいなら、それを得意だ、楽しいと思ってやってくれる人に任せれたほうがみんなハッピーだ。

もちろん、欠点を補うための最善の努力はする。

高校時代も、体育が終わった後とか、暇があればボールを触ったりシュートを打ったり、4時に起きて勉強して走りに行ったり(進学校だったので両立は必須だった)と努力はしたが、私がスリーラインでシュートを打つより、ほかのメンバーがゴールに近いところで頑張ってシュートを打った方が得点が入るなら、それに越したことはない。

バスケットボールにおいて大切なのは、私が活躍することではなくチームが勝つこと。そのために私の能力が少しでも高い方がチームのためだったから頑張るという意識が強かった。

社会に出てからも同じだと思う。
一番大切なのは、私の自己実現ではなくお客さんに喜んでもらうこと。
そのために私がいろいろできた方が良いけれど、できないならだれかに手伝ってもらえたほうがいい。


だから私は「こういうことがしたい」と語って、その姿を見せることで「応援したい、協力したい」といってくれる人をどんどんつくっていきたいと考えている。


あなたも、したいことがあるなら語ってみればいいと思う。
批判を買うときもあるが、それ以上に「応援したい」といってくれる人が現れるだろう。

熱くなろうよ!!!





いつも読んでくださってありがとうございます。