卒業文集

卒業文集の作文というのは非常に恥ずかしい。

私は小学校、高校の卒業時に作文を書いた。
小学校のやつは、まあいいとして、高校のやつが私は書き直したいくらい納得がいっていない。
何度も読み返しているわけではないが、思い出して、なんであんなにつまらない、当たり障りないようなことを書いてしまったのか、悔しい。。
原稿を提出したときも満足していたわけではなかった。コロナ禍でほとんどの行事が規模縮小・中止を余儀なくされ、私自身塞ぎ込んで友達もあまりできず、「ザ・青春」を諦めた3年間だった。
でも、それをそのまま書いたら少々病んでるっぽいテイストになりかねないじゃん。さすがに卒業文集で、それを前面に押し出すことはできないから「コロナ禍にも小さな幸せが溢れてた」的な事書いた。

でも出来上がったものが配られ、読んで驚いた。
なんと自由に書く人がいることか!
好きなものを羅列する人、高校はつまらなかったと正直に書き、原稿半分くらいで終わらせている人、詩的なことを書く人、、、

間違えた〜って思った笑
素直に書けばよかったなって。

あと、私は話をまとめようとしがちである。noteはそうでもないけど、文集では話をまとめるためにことわざ的なものを用いた。
小学生の時はまあそれでよかった。
高校の時は、話まとまらんなぁと考えて、そういう言葉入れればいいじゃん!ってなった
私は6年越しに同じ手法で話をまとめようとしている…と思ったよ。
でも他に手がないし、もういいやって出したけど。

なんか非常に恥ずかしい。みんなの記憶から、文集から、私の作文を取りさらいたい。

てかみんなは配られた文集を読んでるのか?人が書いた文集を。
300人以上いるのを全て読んだ猛者は果たしているのだろうか。私は読みたいとは思う、全員ではないが実際に少し読んだ。
でも親しい人のは読めなかった。私がその人に読まれたら嫌だからだ。自分がされて嫌なことは、相手にもしない、という いい子ちゃんでいた。

ねえ、誰か、読んだ?
え、はずい… やだ、、(赤面)

時々、文集を思い出しては勝手に恥ずかしがり、悔しくなる


これから卒業文集を書く機会がありそうな人たちへ

その時の気持ちを素直に書くのが結局一番なのだと思うよ。
変に、読む人のこと考えて書くと、後々自分が気にしすぎていたことに恥ずかしくなるかもしれません…
学校生活がつまらなかったら、「つまらなかった」って書くのが、私はかっこいいって思う。正直な文章かどうかは、結局読んだらわかります。
卒業文集は、一つの区切りに書くものだと思うので、力が入ってしまうかもしれないけど、自然体で、自分のために書くのも全然、むしろいいことなのだと思う。

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