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瞑想の言葉(祈り)

私の考えにはいつも期待があります
私は期待なしに物事を見ることは難しいです

「優しさとはこういうもの」
「親とはこういうもの」
「子どもはこんなもの」

小さな個人のわずか数十年の
経験に基づいた期待
けれどその束縛はとても強いのです

自分の望む優しさ以外は
優しさと受け取れません

自分と違う他者の背景を思えず
思いやりを思いやりと感じることができません

私にそのように見てしまうなんらかの背景
過去の出来事があるように

その人にもそう振る舞わざるを得ない背景
なんらかの過去の体験があるのです

過去を変えることはできないので
今の私の見方もその人の振る舞いも
変えることはできません

これまでもそうだったし
今もそうだし
これからもそうなのです
それは仕組みなのです

私に唯一できることは
そのことを理解し、ゆるし
受け入れること

これはそういうものなのだ
そういう仕組みなのだ

変えられないことを理解し
受け入れることが
唯一私に変えられること

「変えられない」ということを
理解し、受け入れた私に
変えていけることはたくさんあります

やさしい言葉をかけてみる
手を差し伸べてみる
何もしてあげられることがない時も
その人のために祈ることはできます

その中で起こるべきことが
変化として起こるかもしれません

私は本当はこのように
私自身のこともその人のことも
あるがまま受け入れていたいのです

私が私として振る舞う自由を
その人がその人として振る舞う自由を
ゆるし、受け入れたいのです

それなのに私は
怒りから、嫉妬から、悲しみから
すぐにあるがままをあるがままに
受け入れることができなくなってしまいます

それは私一人の力では難しいことです
助けを求めて私はイーシュワラに祈ります

ああ、イーシュワラ
私がどうか私自身のことも
その人のこともあるがままに
受け入れていられますように

その人がその人として振る舞う
自由を与えられますように
私にも同じ自由がありますから

私たちはそれぞれに法則によって
相応しく運ばれてきたのです
その結果の今なのです
これからもそれぞれに
相応しく運ばれていくのです

私は私自身の見方も
その人の振る舞いも
私たち二人の少しギクシャクした関係も
すべてイーシュワラの現れた姿と理解します

すべてがイーシュワラ
その客観的な理解に留まる時
私は怒りや嫉妬、悲しみから自由な人です
怒りや嫉妬、悲しみもイーシュワラ
状況が整えばそれらは考えに現れますが
私は感情に支配される人ではありません

タスマイ・イーシュワラーヤ・ナマハ


感情に気がついている私があります
穏やかでない考えに気がついている
私があります
考えと考えの間
なんの考えも現れていない時
静けさがあります
考えの前には静けさがあり
考えの後には静けさがあります
考えが現れている間にも静けさはありました

その変わることのない静けさは
気がついている私自身の静けさではないですか

オーム・シャーンティ・シャーンティ・シャーンティヒ


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