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八支則のヨーガ 2.1【シャウチャ】

シャウチャ 清らかさ

考え、体、環境を清らかに保つ練習。

『ヨーガって何?』パラヴィッデャーケンドラム

シャウチャには、バヒル・シャウチャ(外側の清らかさ)とアンタル・シャウチャ(内側の清らかさ)の練習があります。

バヒル・シャウチャ 外側の清らかさ

外側の清らかさには、三つの側面があります。

①清潔に保つこと
②整理整頓すること
③綺麗に着飾ること

特に女性であれば、綺麗に着飾ることもシャウチャと言われます。
ヒンドゥー(ヴェーダ)の文化では、私たちの体も神が宿る神殿と考えられます。
大事なゲストを迎える時には家を綺麗に片付けて飾るように、体に神様を迎えるために綺麗に保ち、飾りつけるという意味があります。

また、この体に神が宿っているということは、私が関わる人々すべてにも神、イーシュワラが宿っているので、周囲の人々を不快にさせず、見た目に心地よくすることが大切にされます。

アンタル・シャウチャ 内側の清らかさ

内側の清らかさとは、考えをきれいに整えることです。
祈りや瞑想はそのための道具で、「メンタル・シャワー」だと言われます。

日々さまざまな人や状況と関わり、家庭や社会での役割を果たす中で、心には知らず知らず汚れ(マラ)が溜まっていきます。
毎日お風呂に入ったり歯を磨いたりして身体の汚れを落とすように、毎日瞑想で心の汚れを落としなさいと言われます。

心の汚れとは、日々反射的に起こる、嫉妬、怒り、傲慢さなどといった様々な感情気分を含みます。
一つひとつは小さな出来事でも、積み重なることでそれらは潜在的な心の傾向、思考の癖となる場合があります。

瞑想とは、「イーシュワラを想う考えの活動」のことだとヴェーダでは定義されています。
イーシュワラを想うことが、なぜ心の掃除になるのでしょうか。

この宇宙全体として現れているものがイーシュワラです。
この宇宙全体は、法則に満ちており、法則の外に存在するものはありません。
(科学では因果関係が証明できない物事も、人間に発見された法則とまだ発見されていない法則があるだけで、法則が存在しないわけではありません。)

それは私たちの心と体も例外ではありません。
「私は重力の影響を受けません」
ということはあり得ないように、この体は生物学や生理学、物理学などとして明かされている法則から自由に存在することはできません。

心理学が科学の分野として成立しているように、私たちの心もまた法則の中に存在しています。
宇宙の法則から外れて体が存在しないように、法則から外れて存在する心というものもありません。

ですので、どのような感情気分も法則の中に起こっていることになります。
全ての法則はイーシュワラの現れですので、私が体験する感情もまたイーシュワラです。
「何か私には背景、過去の体験があって、今このような感情が現れている。感情そのものに良い悪いはなく、すべて現れたイーシュワラ」というのがヴェーダの理解です。

そのように感情気分をイーシュワラとして客観的に捉える時、私は感情の支配下になく、感情を適切に扱える人です。

例えば瞑想の中で、自分の中に誰かに対する嫉妬心に気づいたなら、「祝福と感謝」によって中和することができます。
怒りに気づいたら、「思いやり」の価値を想うことで中和していきます。

イーシュワラ認識、イーシュワラを考えに持ち込むことによって、自分自身を責めることなく、扱いがたい感情を扱うことができます。
瞑想は心を扱うための実用的な技術です。

そのように、心を束縛する感情が育ってしまう前に、日々5分、10分の瞑想によって心の掃除をすることもシャウチャの実践と言われます。

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