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ラブはノベルティ

恋愛感情がない訳ではない。初恋は小三の時で、クラスで一番足の速い田代くんのことが好きだった。そのあとも好きな人は断続的にいて、中学生の時は同じ委員会になりたくて朝が弱いのに朝当番のある美化委員に立候補したり、高校生の時はルールも分からないのにバレー部の試合を見に行ったり、大学生の時はバイト先で自分ではなく相手のテスト期間に合わせてシフト希望を出したりしていた。

でも、なんか、その程度で満足だったんだよなぁ。彼氏の肩にもたれかかって自分が見たいと言ったもののあまり面白くない映画をNetflixで見ながら、ぼんやり考えている。先ほどの回想から随分と時間が経ち、わたしはもう25歳だ。

彼のことは大事だし、一緒にいて楽しいし、人としては大好きだ。新卒で入った会社の同期の仲良しグループのひとりで、半年前に相手から告白されて付き合うことになった。
本人にはもちろん言っていないが、申し出を受け入れたのは気まずくならずに断る理由が見つからなかったからだった。大事な友人で、同じ趣味はないのになんとなく話が合って、仕事ぶりも知っていて信頼できる。それまで完全に友人として素を見せていたから、背伸びもかわいこぶりっこも必要もない。
ここまでいい条件が揃っているのに、あなたへの好意はLOVEではなく最上級のLIKEなので、と断るのはあまりにもったいない気がした。

うん、と応えてから、ただこれまで付き合ったことがないから何をどうすればいいのかよく分からないと伝えると、相手はえっ、と驚いたあとあぁ、と納得した声を出して「だから今までみんなで恋バナしてる時神妙な顔してたんだ」と言った。
変なことを言って交際経験がないのがバレないようにせねば、と気を張っていたわたしの顔はさぞ神妙だっただろうと振り返りつつ、やっぱりこの人は優しくてフラットだなと改めて好ましく思った。

会社の人におおっぴらに公表するのは避けていたので、少し前、大学時代の友人5人で集まった時に報告する時は少し緊張した。
打ち明けるとみんなすごく喜んでくれた。よかったね、春が来たね、これから楽しみだね、自分まで嬉しい、と。
不思議だった。別にわたしが何かを頑張ったわけではなく、相手の申し出に「うん」と言っただけなのに、よかったよかったと口々に言われ、よく分からないままありがとうと返した。

付き合い始めたのは3ヶ月前だと言うと、みんな一段高い声でわぁーと沸いて「一番楽しい時期じゃ〜ん」と茶化されたので、「付き合い自体は長いし、あんまりそういう盛り上がりとかはないよ」と手を顔の前で振りながら答えたが、それは本当だった。
むしろ今まで友人のノロケ話を聞く度に「いいないいな、わたしも彼氏ほしいなぁ」と言っていたのに、いざ彼に何がしたいかと聞かれると何も思いつかず、死ぬほど陳腐でテンプレートな提案しかできなくて落ち込んだ。わたしは何に憧れて彼氏をほしがっていたのか、何に対して「いいな」と言っていたのか、自分のことなのに分からなくなった。

"そういうこと"をするのは嫌ではないけれど、気持ちとしては幸せとか気持ちいいよりも、恥ずかしいが強い。わたしがまだ不慣れなだけなのか、相性が悪いのか、みんな言わないだけで本当はそうなのか、何も分からないのが難しい。勉強も仕事も、正解に向かって計画を立ててコツコツやる作業はあまり苦労せずできる分、正解が分からないものは努力の方向性が見えなくて苦手だ。

映画は気がつけばクライマックスだった。途中ぼーっとしていたが、それでもストーリーは分かる。優柔不断で面食いな主人公が、仕事はできるが堅物で変わり者のヒロインと仕事上のパートナーとしてタッグを組んだものの、ヒロインは主人公の優柔不断さと女好きに嫌気が差して退職を申し出る。彼女を失うとなって初めて大切さと恋心に気づいた主人公が、退職を阻止しようと四苦八苦して…というストーリーだ。ヒロインも自分の恋心に気が付き、今まさにすれ違った主人公に会うべくロンドンの街中をハイヒールで全力疾走している。

ああ、すごい熱量だ。わたしは、多分好きな人に会うためにハイヒールで走れない。付き合ったことがない間はごまかせていたけれど、恋人ができたことで分かってしまった。わたしの中で、恋愛はおまけでしかない。
いいものがもらえたら嬉しいし大事に長く使うけれど、それ目当てで買い物をすることはないノベルティと同じだ。

多分、世の中の多くの人が恋愛によって受けるパワーの、1/2か1/3程度しかわたしは感じることができていない。「いつかきっと分かる」と思っていたものは、永遠に分からないままのようだということだけが分かってからは、相手から受け取る熱量と自分の渡せる熱量の違いばかり気になるようになってしまった。

ヒロインが主人公の背中を見つける。名前を叫んで、主人公が振り向いて、走った勢いのまま抱きしめる。「やっぱり退職は取りやめる」「そうしてくれ」とか「あなたが好きよ」「俺もだよ」とか言い合いながら、涙を流してキスをする。
これが普通なの?あるべき姿なの?きっと彼らはわたしたちよりも年齢は上の設定で、若さの問題ではない。エネルギーがほとばしらないのは、電源か装置のどこかに異常があるのだろうか。

エンドロールが流れ始め、彼がリモコンでホーム画面に戻る操作をする。
「ごめん、わたしが見たいって言ったけどあんま面白くなかったね」
「はは、いいよ別に、ベタなラブコメもたまに見ると面白いじゃん」
「そう?面白かった?」
「うん」
彼は左手に握ったままのリモコンでテレビの電源を消して、反対の手でわたしの髪をするりと撫でた。手のひらが数回上下したあと、耳の淵に触れる。くすぐったいよ、と言うと目が合ってキスをされた。

顔を離し、目を見たまま「好きだよ」と言われて、ああこの人はめんどくさがらずに気持ちを伝えてくれて本当にいい人だなぁと感服する。こんな人がわたしに好意を持ってくれるなんてすごいことだ。得難くて貴重で尊い。だからわたしは報いなければならない。あれ、報いるのは好意じゃなくて厚意か。ま、わたしにとってはどっちもほぼ同じなんだけどさ。

「わたしも、すきだよ」外国の言葉を発音するみたいな気持ちで呟いて、ぎこちない響きになっていないか不安になる。嘘じゃない嘘じゃない。…嘘じゃないけど、本心でもない。一番伝えたい「ごめんね」は喉の奥に押し込めたまま、ごまかすように目をつぶってわたしからキスをした。

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