役に立ちたいと思う
漠然と役に立ちたいと思う。
誰かの、何かの、役に立ちたい と思う。
多くの人がそう思っているかはわからないけど、ときどき人はそうやって思っているんじゃないかな。
なんて、自分をすぐに多数派設定にして安堵しがちだ。
道を聞かれて案内するとか、
時給以上のグッジョブ!を成し遂げるとか、
シャツにアイロンをかけて置くとか、
孫の顔を見せに行くとか、美味しいご飯をつくるとか、
そういうことじゃなくて。
わたしが勝手にニヤリとする妄想から、電力でもうまれないだろうか。
妄想を電力にする装置。
形のないものを目に見えないエネルギーにして物を照らしたり動かしたりする。
止まらなくなる「例えば…」が、空気をきれいにしたりしないだろうか。
例えばが空気清浄をする。
例えが秀逸なほど多くの空気を清浄して、例えばは大気汚染も減らす。
とりとめもなく書きだす文字で、天災を止めることができないだろうか。
、、、
、、、どうやったらできるやら。
ありがとう。どういたしまして。なんてことではないかんじ。
ありがとう。いやいやわたしのほうこそありがとう。なんてかんじ。
小さすぎる自分本位な行動を、地球規模のことに結びつけるなんておこがましいけれど、そんなことを思った。
ただただやりたいからやってる、それが誰かや何かの役に立つってことがあったとして、そのことを知ったらもうそれは、この上ない喜びかもしれない。
ときどきそんなことを考える。
無力だ。
だけど、心の底からは、無力だとは思っていない。
◇
息子たちの未来を考えるとき “人の役にたってほしい” とは、考えない。
やりたいことを一生懸命やれる人生だったら、べつに人の役にたたなくてもいいじゃないか、と思う。
それができる体力をつけて、今だからできるたくさんの経験を積んで、失敗もたくさんして、やりたい何かを一生懸命やれる人生を送ってほしい。
◇
なんだろな、なんで人はひとの役に立ちたいと思うんだろう。
何に報われようとするんだろう。
やりたいことを、一生懸命に。
まず、わたしがそれをしていかなくちゃ、示しがつかないな。
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