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抑圧された感情の行方

夜は感情が忙しなく動くらしい。丑三つ時は日本で古来から恐れられてきた時間らしいが、なるほどたしかに、私の気分の落ち込みも大体が夜中の12時から3時の間に起こることが多いように感じる。私は元来気分の浮き沈みが激しい方で、やる気のある時とない時、テンションの高い時とそうでない時、天と地のように差があるのである。これらを日中は封じてなるべく一定を保つように、出来れば高い方で保てるようにコントロールしているのだが、丑三つ時は魔の時間。普段抑えている感情が濁流のように押し寄せてきてコントロールが効かなくなるのであった。

私のこの性質には父が大いに関係していると考えられる。もともと父の家系は鬱病の診断が下りている親戚が何人か居て、父自身も感情の起伏の激しい人であった。暴力などはまったくないが、よく煙草を吸う人で、ギャンブルが好きで、腹が減ったり自分の思い通りにならないと機嫌が悪くなり運転が荒くなったり。旅行の途中で帰ってしまうこともあった。しかし気分の乗っている時は上機嫌でお菓子を買ってくれたりお小遣いをくれたりと気前のいい人であったし、かわいいとか好きとかそういう素直な気持ちを真っ直ぐに伝えてくれるところが私は今でも大好きである。しかし、そんな感情の起伏の激しい父に付き合っていた母は私よりも大変だったのだろう。よく私にどうしてすぐ機嫌が悪くなるのか、と愚痴を零したり「あんたはあんな風になっちゃだめよ」と言ったり、「今の言い方、お父さんみたい」と父を卑下する言葉をよく使っていた。私が母の意に沿わない行動をすると「あんたお父さんに似てきたね」今でもそう言われる。
このような環境下で育ったため、私は感情の起伏が激しいことは悪い事だと考えている。自分の、特に負の感情は表に出してはいけないものなのだ。不機嫌なオーラで周りを従わせようとしたり、気を遣わせようとすることは以ての外だし、人の気持ちを汲み取ることが苦手なのに仲の悪かった両親の機嫌をとるために顔を伺って生活していた。

つまり、私は父に酷似した性質を持っていながそれを押し込めることで人間社会に適合していった。そのため日中は常に機嫌のいい人間で居られるように工夫をして人と接しているが、夜になると行き場のない感情が暴走を始めるのである。
文章を書くことが好きなので、その吐き出し先は主にTwitterだ。何か重大なミスをした時だけでなく、理由もなく感情が暴走することもある。大半は大まかに生きている意味、無力感がテーマで、昼間の自分とは別人なのではと思うくらい言葉が溢れ出す。

もしかしたら健常な人間は辛いことを友人や恋人、家族に聞いてもらうのかもしれない。しかし私のこれは取り留めもなく解決策もなく指を動かしていれば収まるので、Twitterが一番丁度いいのだ。というか誰かを捕まえて負の感情を吐き出すという行為をしてしまった時は、罪悪感で押しつぶされそうになる。負の感情も含めて私自身ということは知っているが、私と関わる人間にはなるべく良い時間を過ごしてもらいたいので。こうして自分の激情をなるべく出さないように暮らしていると、「明るいね」「楽しそうでいいね」「悩みがなさそう」と言われる。言われる度に心から安堵するのだが、同時に私の本質を捉えていないなと思ってしまうことがある。さらけ出していないのだから当然なのに。ここが私の問題点で、「私が人に好かれているのは好かれるための行動をしているから」という思いが常に根底にあるのだ。無償の愛など信じられない。無条件で人に愛される人なんか居ないと知っているが、好かれるための自分を保つことが億劫になり縁を切ってしまうこともある。
まずはぜんぶの自分を愛することから初めてみるべきなのだろうか。

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