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私は自己肯定感が高い。

大人になったら誰も褒めてくれないよ。


今日もまた、電車を乗り過ごした。スマホを弄っていると、停車したことにも、どの駅に着いたのかもわからなくなる。本を読んでいる時もそうだし、窓の外を見ていたら乗り過ごしていたこともある。私は一度集中するとその他が見えない性質で、それは良くも悪くも私の人生に作用しているのだ。今回は悪いパターンで、到着が15分遅れてしまう。
ちなみに、階段を降りることも苦手で、部屋の片付けも苦手だ。絵も上手く描けないし、字も汚い。文章も上手いと言えるレベルでは無いし、特別頭が良い訳でもない。容姿もお世辞にも良いとは言えない。そんなこんなで特技も何も無いが、これだけは言える。

私は自己肯定感が高い。

なんでだろうね。


最近、自己肯定感の低い人が話題にされることが増えたように思える。そもそも自己肯定感とは、「ありのままの自分を肯定し受け止める感覚」であり、根拠がなくとも自分を肯定できる感覚のことだそうだ。なるほど、それは無くなると生きづらそうだなんて他人事のように思う。まあ、実際他人事なのだ。なぜなら私は「人は何もしていなくても生きていい」と思っているし、生きることが人間の目的であると考えているからだ。生きるために産まれてきたし、そこに意味は無い。だから何かが出来ないからって自分を卑下する必要は無いのだ。何かを出来た時だけ、喜べば良い。
しかし、よく聞くのはこんな言葉だ。

「私には生きる価値が無い。」

「人の役に立てない自分は生きていても仕方がない。」

私は思う。生きるのに価値は必要無いし、ましてや人の役に立つ必要なんか無いよ、と。

「大人になったら誰も褒めてくれないよ。」とは私の中学校の社会の先生が言っていた言葉だ。

「大人になったら誰も褒めてくれないよ。だから、自分で自分を褒める練習をしなさい。」

最初の授業でそう言った先生は、私達に小テストを配った。10問の簡単なテスト。解き終わると先生は点数も聞かずに私達に言った。

「頑張った自分を褒めなさい。」

私はその授業を受けてからずっと、自分を褒める練習をしている。朝起きたら偉い。電車に乗れたら100点満点。乗り過ごしちゃったとしても、授業に遅刻しなかったんだから、今日の私は世界一!
そうして自分につけた花丸の上に、私は成り立っている。先生がつけた花丸は忘れても、自分でつけた花丸は自分の中に絶対残っていくのだ。


大人には褒めてくれる相手は居ない。だから、自分で自分を褒めて、自分で自分に花丸を付ける。それが私の自己肯定感の秘訣だ。
でも、それだけじゃあ悲しいから。余裕が出来たら、相手にも花丸を付けられる大人になりたい。そう思った。

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