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ハヌマーン『アパルトの中の恋人達』の歌詞を読み解いてみた

2004-2012年に活動をしていたロックバンド、ハヌマーン。

"ハヌマーン"は確か、叙事詩『ラーマーヤナ』に出てくる神の名前だったんじゃなかろうか。

私の場合、散歩中は常時Apple Musicと AirPodsで私の耳の中の空気を振動させまくっているのだが、ハヌマーンに関しては、そんな時不意にアプリ内のレコメンド機能によってランダムに出てきたそのバンドが持つ名前のインパクトから、興味本位で曲を聴くようになった。

もちろん、とても調和の取れた駆け抜けるようなサウンド、音の一つ一つが高次元にアウフヘーベンされていっているかのような旋律そのものが私に作用し、画面に表示されるバンド名を見るに至らせたことは言うまでもない。

その中でも今日は特に私のお気に入りの曲の歌詞について、読み解こうと思う。

この歌詞は、歌詞と呼べないほどに厚みがある気がする。あまりに多くの切実な独白、矛盾する感情、交差する視点によって色が変わる世界観が内包されている。と、思う。

初めて聴いた時の感想は
『ぶっ刺さる!!!!』
だった。

薄い感想で申し訳ないが、それ以上に言語化することがかえって良さを伝えきれなくさせてしまう、そんな感じだったのだ。

早速1番のAメロから見ていこう。



彼女の寝息を確かめた後 部屋を出て夜を吸い込んで
戦争が起きたらどうしようとか 
脈略のないこと考えてた

これはおそらく恋人同士のうち男性側の視点での語りである。
良い年した成人男性が、『戦争が起きたら…』と想像に身を任せているこの状況は、随分と彼の思考が空中浮遊をしていることを表している気がする。少なくとも日本国憲法第9条で戦争放棄が謳われた日本国に生きる人間なら尚更だ。彼は自衛隊員でもないだろう。
という訳でこの部分のフレーズは、彼自身が現実に向き合いきれていないことの暗示なのではないかと思う。

誰も知らないところで虚しく色を変える夜の信号は
まるで今の自分そのものだった
もたげる首の角度までおんなじだった

次に男の視点は街中の信号に移される。
その振る舞いにも見てくれにも情けなさを露呈する信号機に自分を投影して、思いを馳せている。

予定のない今日の月の形
夜に齧られたようなそんな形
あの月はなんて名前なのかな
理科の授業もっとちゃんと聞いとけばな

次に男は空を見上げている。彼が主に注目しているのは、空にたった一つだけの月である。ここに彼の拘りや視野の狭さが伺える。
しかし男はその月の名前を知らない。加えて、授業を聞いておけばと後の祭り的な悔いを露わにしていることから、望むものすら把握できない彼の未熟さや、後悔の多い彼の生き方を暗示しているのではないか。

今度は2番のAメロだ。

古い人形抱いたまま眠って
部屋を出たら彼は部屋に居なくて
浴槽のお湯流したっけなとか
明日の朝食のこと考えてた

2番での語りの主役は恋人同士のうち女性側。1番で出てきた人物との対比のように、彼女の考えごとは浴槽のお湯や朝食など、まさにいま目の前のことだ。思考が空中浮遊していた彼に対し、彼女はしっかりと地に足がついている。
考え事が根本的な視点からすれ違っていることが既に伺える。

守られるか無視される意外には用途のない夜の信号は
ああなりたくないと思う女子そのものだった
不憫そうな姿までおんなじだった

次に信号を見上げた彼女。
信号機に情けなさを見出し自分を重ね合わせた男に対して、彼女は信号機に他の女子を投影している。
自身の生き方に誇りを持っていて、他とは違うと確信できている彼女の強さは、自信のない男の生き方と大きく異なるものである。

星屑の点を線で繋ぐようにあなたとの日々も意味を持つかな
伏待月が出てるからでしょう
やけに叙情的になってしまうのは

彼女は夜空を眺め、星屑全てを見渡しているのがわかる。月にこだわっていた彼よりも全体を見つめる視野の広さがある。
しかし一方で月のことも気にかけており、かつ彼女はその名前も知っている。
ここでもまた、彼の知らない世界を彼女は見えている、二人の見ている(知っている)世界はちがうものであることを象徴しているのではないか。

部屋に帰れば彼女はまだ眠ってて
床に落ちた台湾製のそれと目が合う

ここで言う台湾製のそれとは、避妊具のことなのではないかと思う。

アパルトの中の恋人達
愛し合うというにはおぞましい程
醜い行為に果てたあとで
ザラっとした後ろめたさはなんだろう

ここで、恋人同士が持つ肉体の触れ合いを「おぞましい程の醜い行為」だと言い切っているのは、これまで書いてきた2人が持つ隔たりのようなものを、そういった非常に表面的で俗っぽい行為でしか埋めようと努力することが出来ないからなのではないか。
または、そういう行為を通じて埋めた気になってしまう、人間の愚かさの表象だからなのではないか。
このことに男は意識的であり、それにも関わらず今日もまたしてしまった、というような人間のさがの仕方のなさ、それに対して抱くやるせなさもここには表れている気がする。

例えばその薄汚れた人形
ボタンの目でいつも君を見てる
君の薄汚れた人形
毛糸の唇で笑っているよ
所詮中身はスポンジと綿だし
涙拭いとるそのオンボロみたいに
僕はなりたい

ここでの人形はあらゆるものを表していると思う。中身のない作り物、決して同じ景色を見ることが出来ない物(ボタンの目しか持ち合わせないため)、本当の心で語りかけることが出来ない物(毛糸の唇しか持ち合わせないため)、などである。
しかしその人形はオンボロになるほど彼女のそばにいて、涙を拭いとる存在であることに違いはない。
よってこの最後の部分の独白において男は、作り物で空っぽでもいいから、自分も彼女を支える存在になりたいのだと切実に願う気持ちを込めていると思われる。
いくら見ている世界が異なっていたとて、隔たりが埋まらないとしたとて、自分もそんな存在になれるのではないか、という一縷の望みを必死にかけているのかもしれない。



書いてみると思ったよりも長かった。
音楽をかければひとたび、このあまりに不調和に異なる方向を示す複数の感情の矢印が、調和したメロディーの中に収束されている、なんとも不思議な魔法の6分間が訪れる。
是非聴いてみてほしい一曲である。

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