遊びについて
おはようございます。サメル(覚める)と申します。500文字前後で毎日投稿しています。
500文字というと原稿用紙2枚分。テレビなんかのナレーションだとおよそ1分半から2分程度。
読むのはもっと早いですから、1分かからず読めます。
今日は、「遊び」について、です。
よく、仕事の対義語として使われるこの言葉ですが、なんとなく「遊びじゃないんだから真面目にやれ」とか我々が生きている社会では少なくとも仕事と切り離された価値観のように扱われています。
遊びという言葉について、私は「利益が伴うか伴わないかに関わらず、自らの心を満たすために行う活動のこと」と理解しています。
先ほどの、「遊びじゃないんだから真面目にやれ」的な価値観は、経済が発達した社会に於いては利益がなければ生きられないという現実と、自らの心を満たす活動がしたいという本能とを天秤にかけ、どうしても秤が現実に傾いてしまう差分を見て見ぬふりをするための言い訳に他ならないのです。
本来は、利益もあって、心も満足する活動を日々送りたいはずなのに、「現実そううまくはいかない」と、この世の全てを見てきたかのように語る大人がいます。
それはただ、心を満足させたいという欲求を見て見ぬ振りし続けている自分を肯定したい言い訳にすぎません。
たしかに、自分を肯定しなければ生きていてこれほど辛いことは無いと思います。
しかし、無理して言葉で肯定するのも、肯定できていないのと同じことではないでしょうか。
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