訳知り顔はやめないか?

職場と自宅の往復をするだけの生活を虚しく感じるというのはよくあることだ。
人生がものすごく狭い空間に押し込められているような気がするし、この生活を一生続けるのなら、今死んでも大してかわらないのではないだろうかと思ったりもする。
だからといって死ぬ勇気はないし、仕事をやめてまでやりたい事もないのでこれといった考えもなく、現状の生活を続行する。

この感覚は現代を生きる多くの人に共通する、普遍的な感覚だと思う。特に東京という街に生きる若者にとってはもう聞き飽きたというほどに馴染み深いものだろう。

この感覚を放置しても特に大変なことにはならない。ある程度経済的に成長している現代社会では特に志を持たずとも、大成功せずとも、食べるものに困ることも住む場所にこまることもあまりない。

だからこそ深刻なのだ。あまりにも解決を急がれる問題でないからこそ、若者はこの問題を放置し、見て見ぬふりをすることができてしまう。
できてしまうというのが肝で、こんな雲を掴むような捉え所のない問題、向き合わない方が楽である。ラクな方に流れてしまうのが人間のサガなので、問題が後送りされながらも、その人の存在に根深く関わる問題であるからこそ精神をウイルスのようにじわりじわりと蝕む。

この問題はかなり顕在化してきた。上述のような問題に対して、認識していない人はほとんどいないだろう。問題はすでに次のステップに進んでいる。それは自らの存在理由を見つけたと自分に嘘をつく若者があまりにも増えていることである。

自分の在り方にしっくりきていないというのは2021年現在においては古い問題だ。いや、依然として本質はそこにあるのだが、問題が周知のものになりすぎている。もっとも嘆かわしいのは、この問題をさも克服し、自分は周りよりも一歩進んだ人間であるかのように振る舞う(自分に嘘をつく)ことが常態化していることだ。

Noteユーザーを見ていても、成功者に憧れ、自分がさも成功者であるかのような口ぶりで多くの人にアドバイスをする目線で記事を書いているアカウントが散見される。
本当に周囲に良い影響を与えたくて書いている人もいるかもしれないが、ほとんんどが自分は多くの凡人と違って自分の在り方を十分理解しているフリをしている人であろう。(偏見である)

そしてそういう人の書く文章も、賛成的なコメントをしている人も反吐が出るほど気持ち悪い。問題を直視しないばかりか、自分が克服してもいない問題についてさも訳知り顔で、本で暗唱したかあるいは成功者の言っていたことをそのまま垂れ流すのだ。

自分に嘘をつきながら、自分の頭で考えてもいないことをただただ垂れ流し、自らをどこかで見た成功者と同格だと勘違いしている人たちに本当にそれでいいのか質問したいのだ。
的外れなことを言っているならそれでも構わない。むしろその方がただ私がひねくれた物の見方をしていただけだと安心することができる。

自分についた嘘はいずれ自分の中で真実になってしまう。そうなってしまう前に、嘘から目を覚まそう。

サメル(覚める)

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