最近言われた言葉

報連相をしない奴は嫌い。

 気持ちもわかるし、意味も分かる。
どうしてそう思って、口に出したのかも。それならばと報連相をしてみた。結果、その人間は自らも報連相をしていないという事実に気付いた。
自分もやってしまう事だしな、仕方ない。
そう思えないのだろう。ことある事に自分の事を棚に上げて毒を吐くようになった。
そんな相手の言葉に耳を傾け、関わり続ける方が余っ程愚かだということは実は気付いている。今まで通り合わない人間とは距離を置くか縁を切るかすれば良い。だが何故か、一定の距離を保って毒を吐き出す様子を眺めている。

本当に友達だと、親友だと言うのならばこういう時に指摘すべきなのだろう。

君の言葉に、行動が伴っていないせいで効力は無い。ただただ、自分の都合のいいようにしたいのだと言っている様なものだ。

だが、それを言おうとは思わない。
かつてずっと肯定し続けた人がいた。肯定され続けた人はいつしか変わってしまった。自分が1番で間違っていることなど無い。常に人に好かれ人気者だと。だからその傍らで常に言い続けた。外見は確かに良いが、中身がそうであれば決していい人間でもないし間違っていることもある。
結果として、その子は傍を離れて行った。そうなるだろうなという予感もあった。
数年後、知識を求めて手を貸してほしいと連絡が来た時に、内容を聞けば更に悪化していた様だ。その傍らには相変わらず肯定し続けるあの人の姿があった。

人は大なり小なり承認欲求というものがあるだろう。それを満たしてくれるのだ、手放せずに傍に置いているのは分かりきった事だ。しかし、その人間が果たして本当に善意しか向けていないのだろうか?
これを読んでいる君に、親でも兄弟でもない人間が全てを受け入れ肯定し、素晴らしい人間だとブレない言葉を投げかけている人間は居るだろうか?

自分はそうは思わない。

事実、あの人は友人を恨んでいる。

恋人を奪われた恨みつらみを抱えている。それを知っているのは、友人から紹介された三人目の恋人がその子だったからだ。そう、三人目。つまり、奪われた挙句、大切にされないであろう自分の元恋人に深く傷ついたのだ。知っている。知っている。
けれど、友人はその事実を知らない。
教えてやらないとは酷い友人だと思う人も居るだろうが、考えて欲しい。常に警告していた人間の言葉に耳を貸さないような友人だ。言ったところで何もならない。何もならないなら、そこまでということで。必死に更生させる程、親しいわけでもない。

生きずらいと言われている現代で、人は癒しを求めるだろう。ひと時の癒しに飛びつくこともあるだろう。夜の世界に繰り出す人達も似たような心理状況なのかもしれないと、勝手ながら思っている。


ここまで長々といつも通りに書き連ねているが、結論をいうならまさにピッタリな言葉を知っている。

鏡だ。

相手に何か不満を伝えるならば、それは君にも当てはまるかもしれない。

相手の良い所を伝えるならば、それは君にも当てはまるかもしれない。

鏡合わせのような事がこの世には沢山溢れかえっている。この世に偶然はない、全ては必然。
好きな作品のこの言葉が忘れられない。

これを偶然ここまで読んでしまった君へ。
君が今、不満を持っている人間がいるならば。それにストレスを感じているのなら、無関心になるといい。何も気にならなくなる。

最も、1度関わった人間相手に完全な無関心になる事はとても難しいことだけれど。

君も誰かにとっては最悪な人で。
君の最悪な人は誰かにとっての最高な人で。

つまり似たもの同士が集まるというのは、事実なのかもしれない。

ああ、今日もあの子は毒を吐く。
その毒を見てまた思うのだ。いつ、その言葉は鏡合わせになっているのかと、気付くのだろう。


こんな事を書いている自分も決して良い人間では無いし、恐らく鏡合わせだ。だから今日も黙って観察している。疲れたなと思うその日まで、あの子の毒を眺めるのもまた実に嫌だが長い人生の中でひとつの経験として自分の糧になるだろうから。


終わり。

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