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兄がなによりも怖い


兄は私に笑いかけたりしたことなどなかった。

それはきっと人生で一回もない。
幼少期のことはあまり鮮明に覚えてはいないが、私のことなど気に留めたこともなければ興味もない。
なぜなら兄にとって私などどうでもいい八つ当たりの道具だったからだ。

兄が不安定になり始めたのは兄が小学校6年の頃だった。それまで些細な暴力暴言はあったが、死を身近に感じる程の暴力はそれまでなかった。

兄になにがあったかなど私は知ろうともしなかったし、理不尽な暴力を振るってくる兄のことなど知りたくもなかった。

テレビで夕方のアニメを見ていた時だった。
いきなり横からの衝撃に目を瞑った。
兄が強い力で蹴ってきた。
蹲る私に向かって何度も蹴る、反抗したことも前はあったが無駄なこととわかっていたし、火に油を注ぐ行為だと幼いながらわかっていた。

暴力から耐えていた時間はそんな長くなかったはずだ、テレビからはアニメのエンディングが流れてああ、最後全然見てなかったなと蹴られながら思ったのをよく覚えている。

気付けば兄は自室に帰っていたし痛む身体を起こして自室で泣いた。

日に日に兄からの暴力や暴言は増していき、ただ家にいるだけで暴力を受けるので家に帰るのが苦痛だった。
誰かに助けを求めるとか考えたこともあった、真っ先に母親に相談したが

「あなたにもわるいところがあったんじゃない?なにもしてなくて蹴られたりなんてないでしょう」

その一言でこの世から味方がいなくなった気がした。
実際私を兄の暴力から救ってくれる人はいなかった。

ある時頭に思い切り衝撃が走った。
それから暫く起き上がれなかった、その後も頭痛とめまい吐き気でまともに立ち上がることもできなかった。
兄が私の頭目がけてなにかを振り下ろしたのだろう。
倒れた私をみて焦ったのか兄は私が起き上がった時にはもう居なかったし、それから数日は暴力もなく穏やかだった。

ずっとなんで私がこんな目に遭わなければいけないのか考えていたが私はなにもしていない、学校から帰って宿題やってただテレビをぼーっと見ていただけ。

どこに暴力を振るわれなければいけない要素があったのか私にはわからない。本当にサンドバッグだったのだろう。

兄はストレスに弱かった、我慢もあまりできないし、落ち着きもない。

ただ外面はいいので家から出てしまえば兄は好青年と呼ばれる部類であったし、私の兄を知る同級生はみな兄のことをよく思っていた。

私が中学に入ったころ、兄は部活のおかげもあって筋肉もついたし、成長期もあって身長も大分伸びていた。
そんな兄からの暴力はエスカレートしていたし、制服の下はいつも痣だらけだった。

兄にお小遣いを取られていた私はちょっとした買い食いやジュースも飲めず暴力や暴言、誰も味方がいない状況からストレスで嘔吐しガリガリだった。

中学で担任でもない先生から呼び出しを受けた。
私の健康状態と夏でも長袖なことに不信感を持ったという。

今まで誰からもそんなこと言われなかったしこの先生なら信じて救ってくれるかもしれないと思った。
先生に兄から暴力を受けていること、親は信じてくれないこと、もう何年も耐え続けていること、ストレスからか食事をまともにとれないこと。
身体の痣のこと。それらすべてを

話さなかった。

その時私は極度の人間不信と兄からの報復が恐った。
今度こそ殺される、おわる。もういっそ殺してくれ。
毎日毎日憂鬱で誰かに助けてと言う気力もなければ希望すらなかった。

先生はなんどもなんども私に話しかけてくれたし、気にかけていてくれたが私は怖かった。

そうして耐えて耐えて耐えてある日兄から急に首を締め上げられた。

朝も昼も夜も親がいない時間帯はいつでも暴力を振るってきた。
その日は朝から兄の暴力暴言に耐えて疲れていた。少し眠ろうと思っていた時だった。

兄が部屋に入ってきた。サッと血の気が引いて起きあがろうとすると顔を殴られた。

馬乗りになった兄は私の首を両手で掴んで押さえ込むと力と体重をかけられた、身動きも取れない息もできない、殺される。

もういいや、もう、殺していいはやくこんな生活を終えたい無理だ。

視界がどんどん暗くなっていってぼーっとしてくる、頭に血が昇っていくような暑くなるような感覚の後手が首から離されて兄は部屋から出て行った。

今日も死ななかった。

首には赤い痕ができていた、頭が痛い、視界がグラグラする。

もう限界だこの家にはいれない。

親に連絡を入れずにスマホと少しのお金を持ってそれから1週間と少し、ネットで出会った知らない男の家を転々とした。

最後に泊めてくれた男の家を出てから疲れてしまった。
知らない男に殺されるか家に帰って殺されるか。

家に帰ることを選んだ、もうネットで泊まらせてくれる男の家を探すのは疲れたしかといって野宿はもっと怖い、親に全部話そう、家出するまで辛かったと親がわかってくれればきっと、きっと。

親は私を責めるばかりで話を聞いてくれる様子もなく、一方的に怒って外出禁止を命じたあと仕事に行った。
兄は見計らったかのように私に暴力を振りにくる。

ずっとずっと地獄だった、誰にも期待していないし救ってくれるなんて思ってもいない、あとはもう私を殺してくれと毎日願っていた。
マンションから飛び降りることも考えた、いざ飛び降りようとするとあしがすくんで動けなかったししばらく泣いた。
なぜ私がこんな選択をしなければならないのか。


それから私は親に嘘をついた。
彼氏ができたから彼氏の家に泊まる、友達の家に泊まる。と言って週のほとんどをネットで知り合った知らない男だったり女だったりの家で過ごしてお小遣いを貰う、そのお金でそこから学校に通いお昼ご飯を買い喫茶店を何軒も回って時間を潰す。
泊まる家が見つからない時は親が家に帰る時間まで外で時間を潰して親と一緒に家に帰った、兄と2人になる時間がないように過ごした。
それでも親が寝た後は相変わらず暴力を振るった。

そうした生活が続いて入ってしばらく。
兄は大学受験に失敗した。それから兄はぴたりと私に対する暴力暴言をやめた。部屋から出ずずっと過ごしているようだった。

部屋から聞こえる兄の叫んだり壁を殴る音に怯えて過ごした。家にもあまり帰らなくなったし親もなにも言ってこなかった。
そのまま家を逃げるように出てから数年、私は事情により実家に戻った。

兄は相変わらずひきこもりだったし部屋からの大声や壁を殴る音は数年前から変わっていなかった。時が止まったようにそのままの兄はいつまた暴力を振るうかわからない。
いつ爆発するかわからない爆弾と過ごしているようだ。

私はずっとこの兄に怯えながら生活するのか、それとも兄を私が





おわり

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