ものを書くこと


こんにちは、鮫鮪(さめまぐろ)です。


この間、初めてnoteでサポートというものをしていただいて“文才がある。”といっていただけたので私がものを書くことがどういうことなのかなと、自問自答といいますか、独り言をつらつら書いていこうと思います。


時は遡って小学生の頃、私は誰よりも文章を書くのが早かった思い出があります。
読書感想文もそうだし、授業ででた作文を書くのも人一倍早く、量も多かった記憶があります。
(ただ小説を書くのは苦手でしたが。)

そのおかげか喋る事も割と得意で人を満足させること、所謂ヨイショする事も得意だったりします。多分日本語が好きなんだと思います。

小学生5年生の時、環境問題についての作文を書くことになりました、一番に書き終わって提出し、後日その作文が割と大きな賞を取れる発表会への提出作文となりました。
5年生と6年生のクラスから1人ずつ代表を出して校長先生等がいる前で発表して学校からの代表作文を決めるというちょっと大掛かりな感じでした。
そして私は5年1組だったので一番最初に発表することになり、問題なく発表をおわり眠たいなとか思いながら他の発表が終わるのをまっていました。

後日、私の作文は学校代表として6年生を押しのけ賞を取り、賞状なんかもらっちゃったりして、なんだかむず痒いような照れ臭いような、そんな思い出があります。
それが私が取った初めての作文の賞でした。

そして6年生になり、また環境問題についての作文発表会がありました。
今度は違う視点から書こうと、試行錯誤して私にしては珍しく時間をかけて生み出したその作文は先生からの一言で無駄に終わりました。

「去年君は賞取ってるし、今年は別の子にするね」

許せなかった。その別の代表の作文を読ませてもらった、どう考えても私の方が優れていたしユーモアに長けていたと思う。今でも思い出せる。たかが小学生の書いた作文、私のは違う、もっと大人にウケる題材で、読みやすく完結、なのに去年賞を取ったからと簡単に切り捨てられた。

その切り捨てられた作文は未だに持っている。執念だった、二年連続で賞取れたらすごいって無関心な親が褒めてくれるかもしれないとか、そんな期待もあった。

それから作文と距離をとった。
悔しくて悔しくて悔しくて悔しくて悔しくて悔しくて悔しくて悔しくて悔しくて家に帰って泣いた。今思い出してもハラワタが煮えくりかえり大暴れでもしてしまいそうなくらいだ。

そして中学。任意の作文発表会があった、なんとなく書いた作文がちょっとした賞をとった。
うれしくなかった。
なんだか、作文と私の間に大きな溝ができてしまっていたようだ。

賞なんかとってもいいことない、ただちょっと成績になるだけ。

冷めた考えで作文とまた距離を置いた。

高校に入った。
高校に入ったはいいがヤンキーかギャル、オタク、の3種類しかいないみたいな学校に入った私はある先生と出会う。

毎回誰も聞いていない授業で長ったらしく考察まで書いたレポートを出すのは私だけだった。

真面目に授業を受けようとかそういうつもりではなくなんとなくその先生の授業があまりにも生徒に相手されていなくて不憫に思ったのもある。

それをいままで親にもそこまで褒められた事ないってくらい褒めてくれて肯定してくれて、ものをかくのがすきなんだねと、優しく笑いかけてくれた。その先生のおかげで今も執着して文を書いているのかもしてない。

私にとってものを書くのは吐き出すことと執着である。

こうしていろいろ文を書いている間、取れなかった賞のことを根に持ち、執着し固執し、こんなに情けないことはない。

だけど文章を書くのが少しずつでも好きになれているのはその先生に出会ったおかげだろう。

noteに出会ってから吐き出す、大声で言えない文ばかり書いているけど私はここにいる、ここにいて、ここで燃やしている、叫んでいると。

誰かに伝えたい気持ちがあるのかもしれない。



おわり



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