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2024/04/22 やっぱり働くのが怖い

先日、障害者雇用のパートの面接を受けてきた。
結果は落ちてしまったけど、普段何をするにも怖くて怖くてしかたない自分がハローワークに行きスーツを着て履歴書を書いて証明写真を撮り一歩踏み出せたのでその点ではよかったと思う。

面接に落ちてしまったので次の仕事を考えないといけないが、今のところ求人を見るくらいで何もできないでいる。失業保険の期限がもうあと20何日とかなので、動かないといけないが、動く元気もなかったりして困っている。
自分はADHD、鬱病の診断名で精神3級の手帳が降りており、医者に(審査があるのでダメ元とはいえ)障害年金のお願いをしていて、去年の今頃に「1年くらい待ってくれたら診断書書くから」と言われていたのだが、この前の診察の時には「障害年金?そうだったね、頑張って書きますから待っててください」と言われてなんとも言えない気持ちになっている。この問答も5回目くらいなのだ。

自分に障害や病気があり、それによって生きていくのに困難があるのは明らかなのだが、かと言って補助として福祉制度を受けられるほどではない(また、困難が周りから理解され辛い)というのが苦しく、考えても仕方ないのにそのことを度々考えて健常者と障がい者の狭間にいる自分の現状の扱いや社会について恨んでしまう。3年間めまいが治っておらず、日常生活もギリギリの自分がフルタイムで働くことはほぼ不可能だと感じているが、年金が出ない可能性が高い以上フルタイムで働くことを目指すしかない。

また、高校時代やバイトの頃に仕事ができずに教師や上司に厳しく叱責されたことを今でもトラウマに思っており、働くのが怖い。障害だ病気だと書いてきたがここが一番大きい。他人が怖く、社会が怖い。
数少ない自分を知る人にはよく真面目だね、優しいね、と言われるけれど、仕事となるとどれだけメモを取っても物覚えが悪かったり、パニックしたり、普通に働いているだけで負荷がかかって朝起き上がれなくなったり、あまり向いていない。他人とコミュニケーションが取れないということはなく、むしろ空気を読み過ぎる方なので、障害があると思われないこともある。
そこに困難がある。自分でもまだどうしたらいいのか、よくわからない。医者が年金の話を忘れるのも自分がそこまで深刻に見えないからなのかもしれない。
もういっそ働いてお金を稼がないと生きていけないという世界から解放されたいけれど、そうも言っていられないね

幸い自分は周りの人に素敵だねと言ってもらえる絵を描けるので、凹凸が激しい自分の能力をお金に換えるならやはり絵なのではないかと思う時もある。絵だけで生きていくことはできなくても、少しでも生活の足しにできれば楽になるのではないかと考える。ただ現状その絵でもクライアント様とのやり取りやお金の調整の中でミスをしたり納期を守れなかったりで叱責されるのではないかと想像してあまりやれていないでいる。
働いてお金を稼ぐ時について回る『怖い』という感情を少しずつ取り除いていかなければ。
今はskebのことを調べています。絵を生活の足しにするのは前向きに考えている。  

🐟

お世話になっているカウンセラーさんや以前通っていた就労移行のスタッフさんには生活保護の選択肢も薦められたが、紆余曲折あったものの大学まで出て、「あなたは働ける」と思っている両親に生活保護のことは考えないでと言われるし、実際心の持ちようでもあると思うので頑張りますと答えている。が、いつまで頑張れるのかわからない。というか、もう自分としては頑張っている。毎日めまいが続いていて、鬱病もあって、なかなか、毎日大変です。なので、働いている人は本当にすごいと思う。みんな、偉すぎる。みんな大変やんね、偉いです。何も病名なんかなくて、でも毎日働いて疲れて、そういう人が偉い。自分だけではない、みんなさめやかになっていけたらいいよね

自分自身鬱は甘えとまでは言わなくても気持ち次第で自分も頑張れるのではないか、と思うことも度々あってときに前向きな発言をして自分を奮い立たせる。一方でもう自分も十分頑張ったのではないかと思うこともある。自分なりの頑張りが周りに伝わらないのが苦しい。
カウンセリングをしてくれる市の福祉センターの人には頑張らなくていい、無理しなくていいと言われるが、頑張らない、無理しない生き方が今のところ自分にはない
休みたい、すでに仕事をせず休んでいるのに、もう休みたいかんじだ、疲れている
ここまで苦しんでも自殺願望はなく、ただ自分が生きていけるだけのお金を稼いで絵を描いて本を読んで音楽を聴いてたまに友人と会って生きていきたいと思っている。そこは安心してほしい。

それほどまでに絵の存在は自分の中で大きく、そんな好きなことに出会えた自分の人生を恨んでいない。運もよかったし、自分も偉かった。色々あるけど自分は自分にとって魅力のある人間で、面白くて、どうしようもなく生きづらくてもそういうところも含めて可愛い存在だと思う。
生きたいぜ

話が噛み合わなくなってしまったが、切り替えて、どうにか折り合いをつけて自分は生きていくんだと思います。
最後にこの前友人に使っていないからといいカメラをもらって(本当に感謝してます!)写真を撮ってきたので見てください この不完全な愛しい世界で、無数の人の生活の中でぼんやりと生きていきたいね

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