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【ワーホリ日記】3か月の語学学校が終わりました。ネガティブ多めの振り返り

こんにちは。大学を休学し、ニュージーランド・クライストチャーチでワーホリ中のさめです。
毎週更新!と意気込んでいたのですが、メンタルの不調に散々悩まされた結果気づいたら7月になっていました。

題名に書いた通り今回はネガティブな内容が多いです。すみません。

先日3か月お世話になった語学学校を卒業しました。
入学当初は英語に不安しかなく、3か月でも短いのではと不安だったのですが、正直自分にとっては3か月という期間は長すぎたうえ、元来「学校」というものがあまり好きではなかった私にとっては全く合わなくて正直しんどかったです。

特に、5月下旬に仕事を始めてからはかなり両立が辛く、最後の方はほぼ消化試合のようになってしまったことは後悔しています。(学校週20時間強、仕事週25時間くらい。無茶すぎる。)

今回は自分のペースでつらつら思うことを書いていくので読みづらいかもしれませんがご了承を……。


0. 【そもそも】私の入学前の英語力は?

前提としてこの話は欠かせないと思うのでしておきます。
小学校の外国語の時間で少しだけ英語に触れ(まだ全面的に必修化される前でした)、中学で授業に英語があるからまあなんとなくちゃんと勉強し、中学3年次に英検3級(中学卒業レベル)を取得する、という中学まではまあ割とあるあるな感じでした。決して早期教育を受けたわけでも、帰国子女なわけでもありません。(親もそこまで海外経験は豊かではなく英語教育へのやる気はあまりありませんでした。)

それが変わったのが高校入学後。私の高校は定期テストのたびに英語の副読本(ふつうにむずかしい)を課してくる学校だったので、必然的にリーディングや文法は鍛えられました。
とはいえリスニングやライティング、スピーキングはボロボロだったのですが詰め込み学習の甲斐があり(?)高校2年次の3月に英検準一級(大学中級レベル)にぎりぎり合格。また、志望校の英語の問題は非常に難易度が高かったため高校3年次は死ぬほど勉強しました。

第1志望校に無事合格し、僅かばかりの自信を身に付けたものの、大学入学後は周囲の帰国子女やガチ勢たちに打ちのめされすっかり落ち込んでしまいました。

大学一年次の2月に初めて海外(オーストラリア)に超短期留学で渡航したのですが、まるで英語ができず周囲の人に頼りきり。もう自分には留学とか無理だな……みたいなメンタルになりました。(今振り返ると英語力のなさというよりはオーストラリア訛りに慣れていなかったせいだとは思う)

そんなこんなで大学入学後は必修授業(1年次に週数コマあっただけ)と一か月だけ大学の金で受けられたオンライン英会話と超短期留学(笑)くらいでしか英語には触れておらず、本当に自信がありませんでした。
多分渡航前の英語力は英検準1級に毛が生えた程度のものだったと思います。(後で気づくんですが、これ、十分自信もっていいレベルです。

1. 何もかもが新鮮で楽しかった4月

4月7日に(欠航で予定から一日遅れたけど!)無事クライストチャーチに到着、訳も分からないまま翌日には語学学校に入学しました。

初日はオリエンテーションということで、同じ机に居合わせた人たちと話したり、テストを受けたりするわけですが、その中で「私割とここでは英語ができる方なのでは……?」と思うようになりました。

テストの結果割り振られたのは上から2番目のクラス。同時入学者の中では一番上です。その日は日本人を中心に入学者がかなり多く、多分30人くらいはいた気がするのですが、その中では3人だけ!「およよ?????」ってなりました。
ちなみに他の2人はホームステイが同じスイス人(くだらない喧嘩ばかりしてました汗)、現地の大学進学予定の中国人(この先もかなり関わることになります)。たくさんいた日本人で同じクラスになったのは0人でした。

そんなこんなでワクワクの中始まった語学学校生活ですが、授業は正直自分にとっては簡単すぎるレベルでした。クラスはCEFRB2(=英検準1級相当)のはずなので妥当なはずなのですが……。
また、日本人も想像以上に多く、クラスの半分程度が日本人でした。最初の頃の私はイキって「日本人とは仲良くしない!絶対英語で話す!」みたいなメンタルだったのでこれも正直厳しかったです。

クラスを変えてもらうよう交渉するか迷っていたころ、2週間目の月曜日がレベルチェックテストのタイミングで、その結果一番上のクラス(CEFRC1、英検一級相当)に入れることになりました(ちなみに前述の中国人の子も一緒に)。

※CEFRについてはこちら(英語)、多少古い資料ですがCEFRと各検定の対照表はこちらを参照。

来たばかりで訳も分からないままクラスを移動したので最初は不安でしたが、学校のアクティビティに積極的に参加したり、クラスメートに旅行に誘われて一緒に行ったりするなど、慣れないながらも何もかも新鮮で楽しい生活を送っていました。

2. みんな段々いなくなっていく5月

5月に入ると、折角仲良くなった子たちとの別れをたくさん経験することに。入学時期も卒業時期もバラバラな語学学校では避けられないことですが……。
旅行に誘ってくれたクラスメート2人、一緒に通学していたフラットメイト、いろいろ話したり相談したりした元クラスメートたち……。元々人と打ち解けるのに時間がかかるのも災いし、段々学校がしんどくなっていきました。(もっと積極的にみんなに絡みに行ければよかったのですが、メンタルの落ち込みが気力に勝ってしまいました。情けない。)

また、語学学校のアクティビティの一つ、ハイキングが担当の方の忙しさを理由に停止してしまい(結局私が卒業する今に至っても機能しないままです)、楽しみは減るばかり。

5月末には約1か月の求職活動を終えようやく仕事を得られたのですが、平日3日(17:00~22:00、クローズが長引くと23:00頃になることも)&日曜(12:00~22:00、同上)の週4日・約25時間のシフトと学校(平日8:30~13:00)の両立はあまりにも困難でした。求職活動の困難さを考えるとここで働いていなければ多分ずっと仕事を得られず病んでいたと思うので仕方なさはなくもないですが、この辺りから何もかも消化試合になっていってしまいました

この頃には最初の「日本人とは仲良くしない!絶対英語で話す!」というメンタルから転換し、同じ学校の日本人とも話すようになりつつありました。
勿論他のいろんな国から来た方と話すことは大切ですし、できるだけ多く話した方が良いとも思います。

それでも私はワーホリで日本人とは絶対に話さない!という姿勢には今では否定的です。(詳しくは今回は書きませんが。)
以前お会いした日本人美容師さんは「ずーっと英語だとストレス溜まっちゃうこともあるからね。」とおっしゃっていました。人によるでしょうが、誰しも一定程度その側面はあるのかも。

3. 消化試合でしかなかった6~7月

実を言うとほとんど記憶がありません!笑(笑えない)
ずっと学校と仕事場と家の往復でした。

仲が良い(と私が思っていた)子たちもほとんどいなくなってしまい、クラスの子たちとも仲良くなれないし、自分は声かけられてないのにクラスで遊びに行ってるのをインスタで見ては病んでいました。笑(実は思ったより声をかけられてない人はいて、一部の仲いい人だけみたいな感じだから気にするなよって感じなんですが。)

あと正直先生が合わないなともだんだん強く感じ始めるようになっていて、というのも一部の生徒には集中的に絡むけど自分含めほとんど気にかけない人もいるような感じで……。先生なりに考えていたこともあると思うのでこんなことを言うのは本当に申し訳ないのですが。

冬が深まっていって精神的なものだけではなく身体的にも万全ではなかったところ、私がいないところで(元々所属していた)学園祭実行委員会の編成について私が戻ってきたらどうなるかみたいな話を割と有力な立場の人がしていたみたいな話を聞いて心がぐちゃぐちゃになり、悩みすぎて寝不足になり、その結果完全に風邪を引いて2日間寝込んでしまいました。(そのあと1~2週間くらい体調悪いのを引きずってました。今は元気です!)

母親に泣きながら電話し、血迷ってシンガポールでの日系企業のインターンに申し込んで面接で馬鹿にされてボロボロになり、またインスタを見ては病み。

これ以上学校に通っていたら多分不登校になっていたと思います。
本当に限界でしたね

4. 語学学校で英語力は伸びたのか

結論から言うと間違いなく伸びたとは思います。
勿論まだまだな部分も多いですが、前よりも多くの情報を聞き取れるようになった上、すらすらと話せるようになりました。

実は5月にIELTSを受験したのですが(海外の受験料は高すぎるので日本で受けることを強くお勧めします)、対策にほぼ時間を割けなかったにもかかわらず結果はR/L8.0、W6.5、S6.0、overall7.0(=CEFRC1相当)と想像の数倍良いものでした。英語圏での大学進学を狙えるレベルです。
やはり嫌でも毎週20時間は英語と真剣に向き合える環境というのは大きいと思います。

ただ、語学学校での大きな成長はそれ以上に「ミスを恐れないようになった」「自分に自信を持てるようになった」ことだと思います。
渡航前の私はミスを恐れてしまい、なかなか一歩を踏み出すことができませんでした。語学学校に入学してからも、自分に自信が持てないために分かっていても口に出せない、というようなことが多々ありました。

しかし、(私見ですが)英語は結局のところ使うことでしか伸びません。ミスを恐れて何も言えないようではずっと成長しません。
勿論まだまだ自分に自信は持てません。ミスもたくさんあります。それでもミスを恐れずに英語を話せるようになったことで、少しは自分に自信を持てるようになったことで、間違いなく英語力は伸びたと思います。

5. 語学学校に通うという選択は正解だったのか

現地での生活に慣れるとか不安をなくすとかいう意味では正解だったとは思いますが、だとしても自分にとっては長すぎました
また先述したように学校という空間があまり得意ではないこともあり(日本の学校のクラスでも孤立しがちでした)、最後の頃は本当にしんどかったです。

正直ほとんど友達はできなかったし、先生も自分にとっては合わなかったし、体力的に辛いし、なかなか自分の好きに時間を使えなかったし、もっと働きたいし、学校あるせいでできないことも多いし。
悪いことを挙げたらキリがありません。何で語学学校に通うことにしてしまったのか、なんで3か月も取ってしまったのかと何度も後悔しました。

それでも良い出会いがあったのも事実です。私にとって忘れられない4人の話をします。

1人は日本人の、6歳も上の方。社会人を経験されてからワーホリに来ている方です。これまでのことは勿論、ニュージーランドで、そしてワーホリが終わった後に何をしたいかなど、深いことまで話せる存在になりました。

1人は同時に入学した中国人の子。12週間同じクラスでした。
最初は正直「本当に人の話聞かない…しんどい……」と思ってしまっていました。(私も人のこと言えないだろって、そう思います。)
しかし、(お互い人の話を聞かないことも多々ありつつも笑)いろいろ話すうちに一番広い話題で盛り上がれる存在になりました。バスの中で「日本と中国は相互にビザ免除を行うべきか」という話題で議論した日のことは多分一生忘れないことでしょう。
英語の先生を目指す彼はChristchurchを離れて別の街へと行ってしまいました。もっとちゃんと話せばよかったな。一番の後悔です。

1人は2日(!)だけ同じクラスだった日本人の子。なんと私の友達の友達でした。まさかChristchurchで自分が知っている人を知っている人に出会うなんて思いもしなかったので本当に驚きました。世界は勿論広いものですが、それと同時に案外小さいものなのかもしれません。

最後の1人は中国人の子。同じくらいの年だと思っていたら最近3つ年上だったことを知りました。彼女は決して英語が得意な方ではありません(ごめん)。お互いの英語が通じないことも時々、というか頻繁にあります。
それでも私にとって彼女は語学学校でできた一番の大切な友達です。言葉が通じなくても言いたいことは通じるということを何度も経験しました。心が通じるってこういうことなんだろうなと思います。

こんな素敵な出会いがあったことを考えれば、語学学校で学ぶことを選んだのはいくらかは正解だったのかもしれません。

6. エージェントや周りに流されなければよかった

「ニュージーランドは比較的仕事得やすいよ」
「あなたの英語力は低くてB1相当だから6ヶ月のプランが良い」
「語学学校は3か月が一般的」

エージェントの方に言われたり、ネットなどで見たりした言葉です。
私は自分の意思でニュージーランドでのプランを決めていたと思っていたけれど、実際そんなことなくて、他の人に流されすぎてしまっていました

ニュージーランドで仕事が得やすいなんて今の時期周りに言ったら多分発狂されるし(夏ならマシなんだろうけど)、英語力を日本語でしか話してないエージェントの人が分かるわけないし(さすがに6ヶ月は長すぎると思って蹴ったしそうしてよかった)、3か月が一般的なんて全くそんなことはありません。

ワーホリは自分自身のためのワーキングできるホリデーなのであって決してエージェントのためのものなんかじゃない。

語学学校でこんなにしんどい思いをするくらいなら、もっと自分の頭で考えて、もっと自分が好きなように、やりたいようにホリデーの計画を立てて楽しめばよかった。

7. 「語学学校卒業後のプランは?」

語学学校が終盤に近付くにつれて、聞かれることが増えた質問。
正直本当に迷っています

元々ワーホリに来た動機は「労働欲を満たしたいから」でした。海外でゴリゴリオフィスワークをする自分を想像していました。

しかし、経験第一主義の海外、そう甘くはありません。ましてNZは体感人が余っている印象を受けるうえ、冬なので尚更です。
日本では誰でも就けると思われている職種でも全くそんなことはありません。

結局妥協に妥協を重ね、kitchen handの職を手に入れました。今まで飲食店での勤務経験がないことを考えると奇跡に近いです。
とはいえ、もっと英語を使う職に就きたいと、飲食店の接客を中心に他の仕事を探していた時期もありました。

だけど。
NZにいる意味って何なのでしょうか

オフィスワークをしたい、飲食店で働きたい、と言ったって、英語を使うというだけで日本とそこまで変わらないんじゃないかという思いに呑まれるようになりました。
また、それは結局就活やらなにやらで評価される指標として使いたいだけなんじゃないかとも思い始めました。(実際に評価されるのかは知りません。まあ、こんなふらふらしたこと言い続けてたらされなさそう。)

NZだからできること、もっと自然の近くに行ってみるのも良いなと思い始めました。

今はChristchurchに留まって他の仕事を探しつつ今の仕事を続ける/ファームジョブに挑戦する(経験ないけど何事もtry/applyから!)/woof(労働と引き換えに住居、食事を提供してもらえるボランティアのようなもの)でNZを回る、という選択肢で迷っています。

どうなるかは本当にわかりません。早く考えないとな、と思います。でも拙速な判断も危険だし。本当にわかりません。

それでもどこかに、自分のやりたい何かがあることを信じて。
語学学校がなくなった分浮いた時間を活かしつつ、手探りですが進み続けるしかありません。

私のNZワーホリ生活はまだまだこれからです。

さめ

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