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『電車に乗ってて途中の駅で友達が降りたあとなんか気まずい』の回

大学生のころ、仲の良い友人と家の方面が同じで、よく一緒に電車に乗って帰っていた。彼はわたしよりも3つ手前の駅で降りるのが常で、彼が降りるまで昨日見たお笑い番組が面白かったことや最近読んだ漫画の感想、旅行に行きたいなどの話をしていた。車両の中を見渡してみても会話をしているのは、いつもわたしたちの他に1組いるかどうかぐらいで、おしゃべりをしているうちに友人が降りる駅に到着する。彼は決まって大して疲れてもいないのに「お疲れぇ」と言ってホームに降りていった。わたしはそれが何となく気に入らなかったので、毎回「まあ別に疲れてないけどな」という言葉を別れの挨拶代わりに使っていた。

そしてそんな風にして友人と別れたあと、車両に残されたわたしはいつも謎の宙ぶらりんな感情を抱いていた。・・・。何となく気まずい。友人が降りたあとすぐにイヤホンを付けて音楽を聴くのは、なんだか切り替えが早過ぎて薄情に思える。だからあえて友人が降りてある程度時間が経ってから、左ポケットからウォークマンを取り出し、イヤホンを耳に付けていた。

そもそも、さっきまで喋っていたのに急に黙るのがなんだか気まずい。『あいつ友達がおるときはペチャクチャ喋ってたのに、おらんようになったら急に神妙な面持ちで静かになるやん』などと、周囲の乗客に思われないだろうかと不安になってくる。絶対にそんなことを思われるはずがないのに、有り余る自意識が自分を苦しめる。そもそも友人が降りたにもかかわらず、ひとりでニコニコしながらしゃべり続けるなんて怖すぎる。電車の中でたまに、ひとりでしゃべりながら車両をウロウロする『うわぁ、おれの近くで止まるんだけはやめてくれ・・・』と願いながらやり過ごしたくなるような怖い人を見かけることはあるが、それとはまた違ったニュータイプの怖いヤツだ。

なぜそこまでわたしがこんなことに怯えているのかと言うと、さっきまで笑っていた人が急にフッと普通の顔に戻るときが怖いからである。しゃべっている間は笑顔であったのに、会話が途切れた瞬間にフッとマジ顔に戻られると、『えっ、ウソ? こんなノータイムでスイッチON/OFF切り替える? さっきまでの完全に愛想笑いやったやん』と思ってしまう。中国の伝統芸能"変面"でもあるまいに。ていうか、そんなバレバレのスピード感で表情もとに戻す?

だからもうね、この"友達が電車降りた後気まずい問題"を解決するために、乗車中からすでにしゃべらないという作戦を考えました。そしていざ決行。車両に友人と二人で乗り込んで座席のある通路まで進む。わたしからは一切話しかけない。友人が話しかけてきても、そっけない返事で対応する。次第にわたしに気を遣い始めてしゃべりかけなくなる友人。車内には電車の走行音しか聞こえなくなった。もう日も暮れた夜の車窓には、無言で気まずそうにつり革を掴むわたしと友人の姿が映し出されていた。・・・。やめよう、こんな意味の無いこと。そもそも友人と乗っている時間の方が、友人が降りた後に乗っている時間よりも長い。その時間の方が気まずくなっているのでは、トータルで今までよりも損をしていることになるではないか。それに申し訳ない。車窓に映った友人の気まずそうな顔を見て『おれは何をしているんだろう・・・』という、謎の無力感に苛まれた。これまでは自分ひとりが気まずいだけであったのに、この作戦ではわたしと友人のふたりが気まずい思いをし、さらにはトータルで気まずい時間も増えているという、ただただ世界に流れる気まずい時間を増やしてしまっただけになった。

そんなことに途中で気づき、今まで抑え込んでいた分の会話を、一気に話し始めたわたしを見る友人の表情たるや・・・。


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