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『就活の面接は手ごたえあっても落ちるもんやから気にせんとき』の回

ああ、懐かしき就職活動。あのころは本当に嫌で仕方がなかった。何が正解なのかが全く分からなかった。

一度、ある企業の集団面接を受けたとき、自分で自分のことをその集団の中で一番受け答えがしっかりしており、『こりゃあ、トップ通過確定ですわ』と思えるほど、手ごたえを感じたことがあった。面接を終え、仲のいい友達に向かって、「これは行った。まあ一次面接は余裕やわ。おれが受からな誰が受かるねんって感じ」とイキり倒した。

次の日、わたしのパソコンに届いたのはお祈りメールであった。『ええ~、落ちてるやん。昨日の午後に面接受けて今日の午前にお祈りメールって、悩むことなくすぐに落とす判定下してるやん。話し合ってもらえてすらないし、誰もおれを落とすことに反対してないやん』と思った。えげつねえ~。え、傲慢な態度が出てたんかな? バレバレやった?

さらには友達にあれだけイキり倒した手前、落ちたことを報告するのがめちゃくちゃ恥ずかしかった。落ちたことを知らせるまで結構寝かせよう、みんなが忘れたころに最終面接で行って落ちたみたいな設定で行こうと思っていたけれど、イキり倒してしまったがゆえ、みんなめちゃくちゃその後を聞いてくる。「あのめちゃくちゃイキってた面接、どうなった?」てな具合に。結局、素直に一次面接で落ちたことを告げ、この出来事は笑い話として供養する形となった。

と、まあこんな風に、いざ就職活動は終わってしまえば大したことはなかったなあと思えるのだけれど、実際にその渦中にいると、そんな風に思えるようになる未来なんて全く想像できなかった。一足先に就職した先輩たちは「就活で受かったら嬉しいけど、いざ会社に入ったらすぐに辞めたくなるからな」なんてことを言ってきたが、まずは受からなければ話にならない。いつか笑える日が来る? いや、今笑いたいねんけど。

就活が終わった今の立場からしたら、「知らず知らずのうちに自己否定のスパイラルに落ちることになるから、落ちてもあんまり気にせんとき」とか、「意外と手応えなかった面接が受かったりするから、気楽に行きよ」とか色々思うことはあるけれど、こんなこと、就活中の人には何の慰めにもならないだろうとも思う。宿題を家に忘れた小学生の自分に「宿題なんか忘れても、10年後は全然大したことじゃないって思えるから」と言ったところで、小学生の自分はおそらく全く安心できないだろう。『やばい。終わった。めちゃくちゃ先生に怒られる』という恐怖と不安は決して拭えはしない。だって10年後の小学校の宿題なんてどうでもよくなってる未来は未体験ゾーンなんだから。全くもって実感が湧かない。「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」とは言うけれど、他人の経験から学ぶのも難しいもんよ。まさか足が速くてもモテるとは限らなくなる日が来るなんて、そのころの自分はゆめにも思っていない。

就活中、わたしは『目が覚めたら就活が終わっていて、第一志望の企業に受かってる朝になってればいいのに・・・』と思いながら過ごしていました。別に就活中にも楽しいことはある。かといって楽しいことがあっても就活が楽しくなるわけではない。だから、就活という名の嵐が過ぎ去るのをただただ待つしかない。意外とそんなに大したことなかったなあとなるのか、結構な爪痕が残されることになるのかは、過ぎ去った後にしか分からない。もう、そういうもん。とりあえず就活が終わったら、みんなで沖縄にでも行こうよ。


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