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『口臭いときあったら遠慮せんと教えてな』の回

普段生活をしているとたまに、夕方ぐらいになって『おれ、もしかしていま口臭いんちゃう?』と思うことがある。やたらと口の中が渇く日。そんな日には、周りの人に「いまおれって口臭い?」と聞きたくなる。しかし、実際にはそんなこと怖くてとても聞くことなんてできない。でも気になる・・・。

自分の口が臭いときにはぜひ教えてほしいという気持ちはある。知ることで対策を打てるから。でも仮に「口臭いで」と言われたときに、一体どういうリアクションを取ればいいのかは皆目見当がつかない。そもそも、いざ「口臭いで」と言われたときに、果たして自分はそれを素直に受け入れることができるのだろうか。普通にショックを受けて、ただただ口をつむぎ立ち尽くすことになりそう・・・。反対に、友人などの口が臭い場合に「自分、いま口臭いで」なんて言うことはできない。なんなら、友人の口臭が起点となって『おれもいまのコイツぐらい口が臭いときがあるんじゃないか?』と不安になり、自分のことが気になってしまう。とはいえこれまでの人生、他人に自分の口が臭いなと思われた瞬間は確実にあるはずでしょうし、これはもう生きている限りしょうがないことではないのでしょうか。生きぃているから、臭いんだぁ。そんな風に自分をどうにかして慰めるしか今は術が思いつかない。

ただ、互いに口臭を指摘しあえる仲というものは、とてつもなく仲が良いのではないだろうか。「散髪失敗した? 変やで」とは言えても、「なんかストレス感じてんの? 口臭いで」とはよう言わん。そこを遠慮なく言い合える仲こそ、真に親しい間柄と呼べるのではないだろうか。でも冷静に考えたら「なんかストレス感じてんの? 口臭いで」とか言ってくるやつイヤやな。デリカシーがなさすぎる。やっぱ普通に無理、普通に。ストレスを感じてそうな相手に対して、ストレートに口臭いでって言ってくるやつはどっか頭がおかしいもん。それがストレスになって、余計に口が臭なってまうわ。

口臭に関してはなかなか自分で気づくのは難しいが、鼻くそに関しては割と気づきやすいと思う。たまに『うわっ、いま確実に鼻の中に鼻くそがおるわ』っていうぐらい、その存在感を感じるときがある。鼻くそが"ある"じゃなくて、鼻くそが"おる"、鎮座してるって感じ。『これ、他の人からしたら鼻の中で宙に浮いてるみたいに見えてるんちゃう?』『フンって鼻から息を出したら出てくるんちゃう?』って感じのやつ。気配ビンビン。そして、そんな圧倒的存在感を放っている鼻くそがその存在感を放ち始めた瞬間の、その前後の瞬間の鼻の穴の中の様子が気になる。鼻くそって急にポンッてできるわけないもんな。鼻くそはどんな風にして形成されるんだろうか。誰か定点カメラで観察したことないんかな。そういえば昔、鼻くそができる瞬間ではないけれど、声変わりの瞬間を録音したレコードがあると、トリビアの泉という番組で紹介されていた。あれはかなり衝撃的だった。少年の綺麗な声が突然出にくくなり、やっと出るようになったころにはビックリするぐらい声が低くなっていた。徐々に低くなっていくのではなく、一旦声が出なくなってから急激に低くなるといった感じであった。素に戻った大西賢示もとい、はるな愛に負けず劣らずといったぐらいの変化率。

鼻くそから話題が飛びすぎたけれど、モノの変化の前後って興味深い。気づかないうちに色んなものが変わっていっている。わたしも人間として気づかないうちに変化しているのだろうかなんてことを思うけれど、おんなじようなことばかりをずっと考え続けている気もする。いっそのことめちゃくちゃ急激に変化してみたい。目が覚めたら竹内豊になってればいいのに。変な虫になってんのは嫌です。


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