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【すみませんの意味】スーパーのアルバイトで感じた日本人のあたりまえ

僕は純日本人ですが、大学生になってから約2年間フィンランドやタイ・ドイツに滞在していました。日本に帰国して、僕はある逆カルチャーショックを受けます。

それは、飛行機が到着した関西空港のコンビニでの出来事。たまたま、前のお客さんがご高齢の方で私の順番が来るまで少しの時間がかかっていました。

私の順番になると、店員は…

「申し訳ございません。お待たせいたしました」

と言いました。そこで僕は日本や日本人独特の文化がこのワンシーンに如実に現れているのではないかと思うのです。正直、僕は客として店員さんを責めるつもりは毛頭ありません。そして、店員は本当に「申し訳ありません。」と思っているのでしょうか?

同じようなことが僕のアルバイト先で、今度は僕が店員の立場で起こりました。僕は未だ使用期間なので、スーパーのレジ打ちを先輩と共に行います。皆さんもご存知の通り、スーパーは時間帯やお客様・売り場の位置によって混み具合が変化します。僕は先日、お昼11時半のピークタイムに先輩が常に、

「申し訳ございません。お待たせいたしました」

と言っているのを耳にしました。日本から出たことのない人にとって、この言葉はあまり違和感のない言葉かもしれません。僕たちの間でこれはもはや習慣であり、とりあえず言っておけば波風が立たないだろう。そう思っている方が多いからではないかと僕は思います。

しかし、少しですが海外生活を行った、日本ではないあたりまえに触れた僕にとって、それは違和感しか感じない言葉になってしまいました。

正直、この状況において店員の責任はあまりないのではないでしょうか?僕なんかは「お待たせしてすみません」なんて言葉を聞いたら待たせている/そしてその責任は店員にあるということを自白しているようにしか感じないのです。

つまり、被らなくてもよい被害を自ら被っている。認めなくてもよいことを、わざわざ認めてしまっている。(波風を立てないようにしているつもりが、波風を立たせてしまっているのではないか)

そんなことを感じます。現に高齢の男性客の1人が、その言葉のせいか否かは定かではありませんが、

「いつまで待たせるんや〜」

と発言したこともあります。しかも、それは店員の自白よりも後、その言葉を聞いてからの発言だったのです。

僕は、大学のある授業でアメリカ人の考え方について学んだことがあります。彼らは、滅多にSorry(ごめんなさい)とは言わないそうです。なぜなら、言ってしまえばそれは本当にその人の非になるからということでした。

日本人がアメリカを見習え!なんてことは言いません。

しかし、「すみません/申し訳ありません」のように思考停止で機械的に使用している言葉でも、一度振り返ってそれが与える影響を再認識することは大切なのだと思います。

なので、僕は少なくとも「すみません」という言葉を軽々しく機械的に使うことはしません。

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