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ニーチェと中原中也【櫻坂46 Nobody's fault 歌詞考察】

「Nobody's fault」の歌詞は哲学的だ。

何故なら、ニーチェ哲学が土台になっているからだ。
ニーチェ哲学とは、ニーチェの有名な言葉で「神は死んだ」とあるように、これまで皆が信じていた宗教というものの絶対性が失われ、人々が路頭に迷った時代に生まれた思想だ。
人は、信じていた「絶対性」が揺らいでしまうと、生き方が分からなくなり、絶望感や無力感に支配された「ニヒリズム」に陥る。
そうならない為に、ニーチェは、「永遠回帰」という永遠に自分のこの人生が繰り返されると仮定して、やるだけやってその自分を全肯定する「超人」になればいい、絶望感に囚われた人生が永遠と繰り返されるのを望む人なんていないはずだから、と説く。
この思考法こそがニーチェ哲学だ。

Nobody's faultの歌詞は絶望感、無力感への立ち向かい方を教えてくれる。
まずタイトルから「誰のせいでもない」、歌詞終盤に「自分のせいにもするな」、サビで「勝手に絶望してるのは」と出てくる。
自分の不幸を「誰かのせい」にして勝手に絶望していては何にもならない。
やれるだけのことをやって、その何もかもを肯定してしまえばいい、自分の不幸を誰かのせいにせず、自分のせいにもせず、前にただ進み続けるだけだ、と教えてくれる。

「Nobody's fault」の歌詞は文学的だ。

何故なら、中原中也の詩をオマージュしていると思うからだ。
中原中也の詩の特徴もその生い立ちも含めて、絶望感や無力感の中、あるいは先にある美しいものに対する希望を独特の表現法で描いているように思える。
Nobody's faultの歌詞にある「知らぬ間に汚れちまった空は」は中原中也の「汚れっちまった悲しみに」のオマージュだと思う。

ニーチェと中原中也を用いて「諦めの先」を表現していて、Nobody's faultは櫻坂46の再スタートに本当に相応しい曲だと思う。

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