櫻坂46と井上陽水
櫻坂46の「五月雨よ」の歌詞と井上陽水の「傘がない」の歌詞って言ってることが似てる気がする。
この「傘がない」は「余裕がない」の言い換えだとする。
誰かが世の中で起こってることを新聞やテレビで色々と言い合ってる。
そんなことができるのは今、自分の生活に余裕があるからだろ、自分は目の前のことで精一杯だ。
本当に不幸なやつはそんなことやってられねえよ、と皮肉る歌詞だと思う。
とにかく他を考える余裕がない。
だから君に会いに行く。
そう雨に濡れ、傘がないから。
「五月雨よ」の歌詞にある「広げられない傘を持ってる」、この矛盾故に魅力的な歌詞も「僕には余裕がない」の言い換えではないのか。
そんなよく言われている言葉たちは本当にそうなのか?と世の中を疑ってみる。
ずっと踏み出せない、この五月雨式にだらだら続く君への思いに太陽は差すのか。
どちらの歌詞も余裕のない心を傘で例えていて、「傘がない」は君を手段に社会という目的を歌って、「五月雨よ」は社会を手段に君という目的を歌っている。
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