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何を聴いていたかではなくて聴きたくない 何かあるんだろう?【櫻坂46 風の音 歌詞考察】

君がいなくなった 急に…
授業中に席を立って
教室の後ろのドア
大胆 正々堂々出て行く

先生には 見えなかったの?
それとも もう諦めたか?

風の音

君は授業中に席を立って教室の後ろのドアから正々堂々出て行く。
それに教師は気づいていないか、諦めているのか注意をしない。
そんなとても映像的な歌詞から始まるのだが、この既視感の正体は「10月のプールに飛び込んだ」の世界観に似ているからだと思う。

びしょびしょの足跡が廊下に残っている
教師は何も言わなかった 僕に興味がないんだろう

10月のプールに飛び込んだ

10月のプールという二律背反な言葉の組み合わせで表現しているのは「青春」か「人間」か、それとも主人公の僕が確かめたかった「自由」なのかは分からないが、10月のプールに飛び込むというその不器用でキラキラした行動を傍観者として見ていたクラスメイトがこの「風の音」という楽曲の主人公なのかもしれない。

10月のプールを泳ぐのはそうさ愚かなことだ
教室の窓 みんながこっち見て騒いでる

10月のプールに飛び込んだ

自分も本当は10月のプールに飛び込みたいし、授業中に正々堂々教室から出ていきたい。
常識外れな行動を取って虚しさや息苦しさ、閉塞感から逃げ出したい。
だけどそんな勇気はない。
そんな自分には到底できやしないと思っていることを君は簡単そうに行動に移す。

今すぐ僕も そうしたいけど
そこまで勇気がなかった

風の音

何もしないのは 傷つきたくないってことだろう?
もっと ジタバタしてかっこ悪くたっていいじゃないか?

10月のプールに飛び込んだ

そして、君は青い空が眩しい屋上で耳に手をやり何かの音を聴いている。

青い空が眩しい屋上
君はこうして耳に手をやり
近づいた僕に
指を当てた唇

何を聴いていたかではなくて
聴きたくない 何かあるんだろう?

風の音

何かを聴いているということは聴きたくない何かがあるのだろうという逆説的な歌詞が文学的で感動する。
君が聴きたくない(見たくない)ものは現実か。

君が聴いていたのはタイトルにある通り、「風の音」なのだろうが、それは何の言い換えなのだろうか。

大人になるって
面倒だ 色々な音(混ざって)
自分らしく生きるって難しい Uh
(風の音)

風の音

やがて 周りのノイズは消えて
風が過ぎてく音 聴こえたかも…
ありえないような
幻聴でもいいんだ

風の音

この楽曲の主人公である僕は君に憧れている。
君が聴いているその風の音を僕も聴きたい。

そして君は僕に振り向いて
「聴こえたでしょ?」って微笑み掛ける
汚れてしまった
僕はもう 嘘をついて(もちろん)
頷いてる

風の音

君には聴こえている風の音が僕には聴こえない。
その違いとは何か。
それは常識からはみ出せる者と諦めて何もしない者の差なのだろう。
つまりは、主体性があるかどうか。
ニーチェ哲学でいう「超人」かどうかがその分かれ道なのかもしれない。

何歳になったら 耳を塞いでしまう?
(Does it make any sense? I don't wanna know)
君はしゃがみ込み ずっとそのままでいるつもりか?

風の音

歌詞的には君は成功者だが、普通に考えば落伍者である。
僕は君に憧れていると同時にどこか可哀想に思っていると思う。
結局人間は、学校とか社会とか常識のような構造、システムには抗えないのかも知れない。
君が学校に馴染めないのは、自然の摂理という自分ではどうしようもないことかもしれない。

でも、そこから抜け出したいと思うことは、合っているとか間違っているとかではなく青春という独特でキラキラとしたもう2度と戻る事のできない時間には必要なことだと思うし、どこまでも傍観者でその他大勢の中にいる「僕」には「君」は眩しすぎる。

若さはいつも 気付かぬうちに
通り過ぎる風
ねえ でも まだ

風の音

「風の音」とは若さ、つまりは「青春」だ。

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