備忘録
こんにちは。
今、パスポートの申請に来ていて40組待ちらしく、とても暇なのでこれを書いています。
なに書こうかな。
とりあえず、近況報告。
前回の記事から、15日間。
まず、テストが終わった🙌
多分だけど学生最後のテスト。
数学、数学、数学の3つ。
私は教育学部、
周りの友だちは教員採用試験真っ只中のテストだった。
だからなのか、とてもとても簡単だった。
勉強したからには出し切りたかったなぁという気持ち。
そんなこと言いつつ、
今回のテスト期間は鬱、鬱、鬱。
なんでだろう。
普段は月に1回ぐらいなのに。
少しでも起き上がれるときに勉強して、
めちゃくちゃがんばって風呂に入って、
食べられるものを食べて生きてた。
普段の授業だったら休む体調の日に、
最後のテストがあって、
もちろん休めるはずもなくて、
体を引きずって行ったのを覚えている。
ちょうどその日がカウンセリングで、
話せる場があることに救われて、
でも、話せる状態でもなくて。
頭グルグル状態。
なんて言えば伝わるの、あれ。
その日の私は、
「頭の中がうるさい」
「音じゃなくて、都会の喧噪」
「都会の喧噪の中にひとりで立ってる感じ」
と言っていた。
なにかこれといって考え込んでるわけではないのに、
ぐるぐる考え続けているような感覚。
ずっとそれが続いて、
疲れて、休めなくて、
「もうなにも考えたくない」が、
「もう生きていたくない」になっちゃう。
生きていたくないぐらい、苦しいんだよね。
でも、
病院の先生も、心理士さんも、
この状態をどうにかしてくれるわけじゃない。
誰も助けてくれないし、
自分でも自分を救えない。
わかってる。
結局耐えるしかない、
それがどれだけ恐ろしいことか。
「この状態が続く期間には
終わりがあると知ってる。
でも、また同じことが起こるのも知ってる。
繰り返して、
治らないまま生きていくのが怖くなる」
ただこれだけの内容を伝えるのに、
すごく時間がかかってしまった。
私が話そうとするのを、
心理士さんは待ってくれた。
「なんでだろうね、
ちゃんと病院行って薬飲んでるのにね。
きっと薬がどうとかいう話じゃないんだろうね。
でも、あなたのせいじゃない。
あなたのせいでそうなってるわけじゃないから。
なにかしなきゃと思う必要はないよ。」
と言ってくれた。
この言葉で、私は安心し、絶望した。
なにかしなきゃと思う必要はないと言ってくれたから、この日から今日まで生きられた。
今は休んでもいいんだと、
できないことはできないでいいんだと思えた。
でも、やっぱりどうにもできないんだと思った。
医学がどうにかできてない、
薬学にも救えない、という現実を再確認した。
この日の私が偉かったことは、
思った言葉をそのまま口にしなかったこと。
「しにたい」「耐えられない」
では、なにも伝えられないと分かったこと。
言葉はなかなか出てこなくて、
シャットダウン一歩手前だった。
45分のカウンセリング時間のうち、
30分ぐらいは固まったまま動かなかった。
意識がどこかに飛びそうになるのを、
なんとか戻して、
無理矢理話そうとして、
「くるしい」しか出なかった。
情けない、ほんとうに。
ギリ意識あるぐらいの自分を見て、
心理士さんはなにを思ってたんだろう。
いつもはシャットダウンして起きたとき、
目の前に誰もいない。
心理士さんは離れたところで作業していることが多い。
でもこの日は、ずっと目の前に居た。
目を瞑っていても、気配があった。
なかなか落ち着かない私に対して、
超穏やかな顔して待ってくれていた。
ほんまに、
これまで見たことないぐらい穏やかだった。
その顔を見て、なんだか面白くなって、安心した。
この人こんな穏やかな表情するんだ、みたいな。
なんだかんだ落ち着いてきて、
話せるようになって、
「今日はこれまで見たなかでも特に、
いや、一番苦しそうだった。
耐えているというか、
もがいている時間が長くて、
いつもならパタッと倒れて寝るんだけど。
苦しい時間が長くなったのか、
それだけ耐えられるようになったと言うべきか。」
と言われた。
いや、めっちゃ観察してるやん。
ギリ意識あったから、
ちゃんと覚えてて、
なんだか恥ずかしかった。
この日のカウンセリングはこれで終わった。
今週はお盆休みで閉室、
のはずだった。
明らかやべえ状態の私を見て、
メールしようと提案してくれた。
当時の私にとって、
いつ終わるか分からない鬱との戦いは恐怖だった。
恐怖でしかなかった。
死と背中合わせというより、
死と隣り合わせ。
そんななかで次週をカウセなしで乗り切るのは、もっと怖かった。
だから、話せる場を作ってくれたことがありがたくて、
それすら1週間を生き延びる理由になった。
そして、次の日、
の、次の日。
金曜日起きたとき、鬱は抜けていた。
カウンセリングがあった日、
つまり水曜日時点で、
「金曜日のバイトはぜってえ行かねえ」
と心に決めていたのだけど、
金曜日になってみて
「ぜってえ行かね……行けるんじゃね?」
となったことで、鬱期の終わりに気づいた。
気づいたとき、
家の中はグチャグチャだった。
掃除できてない、
洗い物はいつからあったかわからない、
冷蔵庫の中も、
常温の食べものもほぼゼロ。
洗濯さえしてない。
なにもできなかったんだなぁと思った。
なにもできなくても、
それでよかった。
傷を作らず、
誰かに死にたいと嘆くこともなく、
生き延びていてくれた。
部屋の状態そのままにバイトに行った。
記事に書いたことないかもしれないが、
8月末で退職を決めたバイト。
行きたくないと泣きながら準備していたバイトだった。
この時点で既に上司の許可を取り、
同僚の方への報告も済んでいた。
せめて9月末まで、と言ってくれたけど、
7月末で既に限界だと思っていた。
退職が決まって、
残り○回と思うと、
なんとか出勤することができた。
その後、
大学のオープンキャンパスがあり、
実家に帰ってきて、
墓参りに行って、
パスポートの申請に行って、
教習所の予約をして、
現在に至る。
オープンキャンパスではなんと、
7時間も外で過ごした。
10:00から17:00、
昼休憩30分、小休憩10分。
テントの下とはいえ、
12:00ぐらいには死を感じた。
あまりにも暑すぎる。
そして忙しすぎる。
デカい箱を図書館から校門の受付まで運んで、
資料の入った袋に団扇を入れて、
それを受付の人がいるテーブルまで運んで、
たまに受付と代わって資料配布して、
その繰り返し。
やってることは簡単。
でも恐ろしく体力を奪われていった。
来場者3800人、
弊学の学生数4500人しかいないのに。
ありがたいことに、
年々増加している。
1年生から始めたオーキャンスタッフ、
なんだかんだで4年生まで続けられている。
来場者2000人でビックリしていたところから、3800人になり、
オーキャンの時間は3時間程長くなり、
プログラムは4倍ぐらい増えた。
スタッフの人数はほぼ変わってないし、
謝礼も日給2000円のままだけど、
色々なことが変わった。
そりゃ私の髪も伸びるわ、と思う。
マッシュショートから、
胸ぐらいのロングヘアになった。
慌ただしい大学4年前期が終わった。
就活とバイトと大学の両立で、
どうにかなりそうだった。
第二志望の企業に就職が決まって、
バイトは勤続1年になって、
たぶん単位は取れる。
これからは、
勤続1年ちょうどのバイトを辞めて、
教習所に通って、
旅行、内定式、旅行が待っている。
(2週間の間にこれあるの笑う)
卒論は、はじめに で止まっているし、
バイト辞めた後どうしよかなというところではある。
試験監督はやろうと思えばできるし、
単発のバイトのメールはたまに来る。
それで、今月末にテストモニターをするつもり。
就職するまでに、
引っ越しの費用、
家を借りるためのお金、
初任給が入るまでの生活費は貯めなきゃいけないなぁと思う。
でも、それぐらい。
働くのは社会人になってから、
嫌でもできる。
それなら、大学生のうちに
やりたいことをやりきりたい。
金髪碧眼にするとか、
友だちと思いっきり遊ぶとか、
化粧の練習するとか、
限界までジム通ってみるとか。
特に金髪、これ絶対今やっときたい。
真面目な学生だったから、
大学3年間で、茶髪1か月、それ以外黒髪。
入学して1か月で、
学校インターンなるものが始まったから。
学校インターン、
塾講師のアルバイト、
企業のインターン、
塾講師のアルバイト、
就職活動、
というような感じで、
なかなか派手髪にするタイミングがなかった。
黒髪が似合うからそれでいいというのもあった。
内定式が終わって、
旅行から帰ってきたら金髪にしようと決めている。
そのあとできたらピンク髪もやりたい。
だからお願いします、我が内定先。
内定式のあとはしばらく呼ばないでください、
研修とかはせめて3月にしてください。
もしこの願いが通じなかったら、
今度こそウィッグを買うと思う。
また書きます。
画像は「アサイーボウル」です、
流行ってるらしく、妹が連れていってくれました。
美味しいです、アサイーボウル。
読んでくださってありがとうございます🌱
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