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楽しいはずのお正月休みを終えなぜかホッとしている。その理由を考えてみた。

昨日の夜ごはんで、やっとおせちを食べ切った。
ちょっと足りないかなと思ったので、お味噌汁だけ作った。
お味噌を溶きながら、明日からまた日常が戻ってくるなぁとちょっとホッとした自分がいた。
家族で温泉旅、中華街へのお出かけ、おせち作り、友達と集合しておしゃべり。
楽しかったお正月休みが終わっちゃうというのに、なぜわたしはホッとしているのだろう。

この心理、自分のことながらとても気になる。
思うに、2つくらい理由があるような気がする。

数日分の食事のことを考えないといけないから

まずはこれ。
大晦日、おせち、三日くらいまでの食事(父とわたしの分)はどうしよう。
考えるだけでもかなりパワーを使う。
わたしに暖かい帰る実家があれば、みんなでそこに集まって、お母さんが色々な準備をしてくれたり、一緒に料理をしたりするのだろう。
でもわたしにはそんな場所はない。
父とわたしのふたり暮らし。
求められているわけでもないのに、ちゃんとお正月をわたしが過ごしたいという気持ちと、過ごしてもらいたいという気持ちもあって、ついつい頑張ってしまう。
スーパーも休みになるし、三が日くらいスーパーに行きたくないから、数日間の献立を考えて前もって買い出しに行く。
もうわたしもいい歳だし、お正月を切り盛りできるようになりたいのだ。
でも、結構疲れる。

うまくいかない家族のことを考えなきゃいけないから

両親が本当にイマイチ。
父親は何を考えているのか何も分からない。何も言わない。
母親のことはわたしはどうしても許せないから、拒否反応が出てしまう。
それでも血が繋がっているというのは不思議なもので、いつの日かまた一緒に楽しく話せるかもしれないと思ったり、寂しいお正月にならないようにしてあげたいという気持ちが少しだけある。
いっそのこと縁を切ってしまった方が楽だ、とか思ったりもするのに。
いつも、歩み寄りたい気持ちともう関わりたくないという気持ちがせめぎ合っていて、お正月はそれが顕著だ。
それに、周りがどんなお正月を過ごしているか、このご時世嫌でも情報が入って来ちゃうものだから、その差がまた悲しくさせる。

という感じで、まずは、感謝も感想も言わない父の食事を、何日間も3食考えるのはつらい。

あとは、お正月は誰もが家族と過ごす時間が増える数日間だから、日常生活ではごまかしつつやり過ごしている家族の問題を、嫌でも直視しなくちゃいけなくなる。
嫌なんだけど、1年に1回くらいちゃんと見て、できることなら少しずつ解消したいとは思っている。親だっていつまでも生きているわけではないのだし。
でも、今までもできなかったんだし、現状のままではもう無理だと思った。

そして思いついた方法はこれ。
わたしが結婚すること。

旦那さんがいれば、少し意見を聞かせてもらったり、少し一緒に考えてもらったりできるかもしれない。

結婚すれば幸せになれる、という考えはしたくないけれど、親との関係に関してはもう諦めた。
もう無理なのだ。
まずは結婚してから考えることにした。

問題の解決方法を考えることも大事だけど、一人で解決できないこともあるし、時にはもう無理だと開き直って他の方向を目指すのもいいだろう。

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