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脳出血〜幸せにしてあげられなくて

6月28日 金曜日
要介護認定の調査がありました。
わたしも病院で立ち合いました。

わたしの姿を見つけると、夫は

あけちゃん、来てくれてありがとう。
迷惑かけてごめんな。
結婚したのに、幸せにしてあげられなくてごめん。

と 泣きました。

わたしは、本当は

『あなたが生きていてくれるだけで幸せだよ。』

と言ってあげたかったのだけど、

甘やかしたらあかんかも?と思い直して

なにを言うてるの!
今からやで!
今から幸せにしてもらうから早よ動けるようになって家に帰ってきてよ!
泣いてる場合じゃないねんで!


と 少し強めに、怒り口調でお願いしました。


夫は、自分に甘いんです。

面倒なことからは逃げる…(だから元嫁との離婚もなかなか進まなかった。)

辛い現実からも逃げる…(だから、2年間も大学不登校だった真由から目を逸らしていた。)

やりたくない仕事からも逃げる。

逃げてばっかりやないかい!💢

実は、命を救ってくださった救命救急センターでの主治医からも言われました。

まだ子どもさんが小さいと、
〝入院している場合じゃない!〟って奮起出来るし、
会社で責任を持って仕事に打ち込んでいる方だと
〝早く職場復帰しないと!〟
って頑張れるんだけど、
旦那さんの場合は、もう子どもさんたちも自立しているし、
お仕事も、生活に困らずにご自分のペースでされてたから
そういう方は回復が遅い傾向があるんですよね…。



はい。先生、残念ながらその通りだと…
わたしもそれを危惧しておりました。

夫自身は、オレは苦労して生きてきた と勘違いしているかもしれないけど、
夫のお家は裕福で、夫はお金の心配などしたことがないのです。
確かにお母さんは難病で入退院を繰り返していたので お母さんが不在の時は伯母さんの家に預けられて寂しい思いをしたかもしれないけれど、
伯母さんのお家も裕福で、
伯母さんも伯父さんも優しくて
従兄弟たちと同様に我が子のように面倒を見てもらった…と夫はよく話していたから、
わたしからすれば、

恵まれすぎとるやんけ。

なんです。


いや、恵まれていてよかった。
本当にそれは、心からそう思う。
夫が素直で、優しい穏やかな性格なのは
お母さんが病気で不在がちでも のびのびと育ったのは、
良い環境、良い大人に恵まれていたからだと思う。それに尽きる。

わたしのように 機能不全家庭に育ち
心身ともに健全に成長しなかった子どもは
やはり後々、精神的身体的にもいろいろと問題が出てくるのです。

大人になってから、わたしはうつ病とパニック障害に苦しみましたし、
今も何かあると時々そういう症状に見舞われます。

愛猫が亡くなった時、夫が倒れた時にやはり鬱とパニックが出て、しばらく心療内科へ通院し、お薬に頼っていました。

ただ、わたしも とても幸運なことに
〝親以外の〟大人や学校の先生、
お友達には大変恵まれました。

勉強が出来たこと、
元々の性格が明るく活発だったことで
先生やお友達から とても親切にしていただきました。

ド貧乏だったし、殴られて育ちましたが 自己肯定感が高いのは、
学校で褒められていたからです。

(何度も書きますが→)ド貧乏だったので、
習い事など一切していませんでしたが
書道や美術ではいつも何かのコンクールで学校代表で出品した作品が表彰されていました。
特選や、金賞、大阪府知事賞などをいただくと
本人よりも先生たちが喜んでくれました。
それが自信に繋がりました。

家では 殴られたり蹴られたりして、
『何のために生きているのか?』と自分の価値が見出せなかったのに、人生に絶望しなかったのは
わたしを認めてくれる先生たち(尊敬できる良い大人)がいたお陰です。

小学2年生の時には、担任が応募してくれた詩が
朝日新聞の『小さな目』に掲載され、
とても綺麗な賞状とメダルをいただきました。

中学や高校でも担任の先生に恵まれたこと、優しい友達に恵まれたこと、
勉強が出来たこと、書道や美術に秀でていたことで学校生活はとても楽しいものになりました。

というか、学校にしか自分の居場所がなかったので、
勉強することも本当に楽しかったです。

給食が唯一の栄養源だったし
いつもお腹を空かせていたので、給食は人一倍楽しみでした。
めちゃくちゃ味わって食べていました。

小中高、何もかも全力で取り組んでましたね。
クラスの代表的なものも積極的に引き受けていました。

ちょっと大袈裟かもしれないですが、
一日一日を必死で生きてきているので
わたし、もう100年くらい生きているような気がしています。

夫には
『今から幸せにしてもらう』と強めにお願いしましたが、

わたしは常に幸せを更新しながら生きているし、
自分で自分を幸せにできるタイプの人間なんですね。子どもの頃からそうしてきましたから。

でも、夫が家に帰って来てくれたらもっと幸せです。

夫に出会えて、初めて心から安心して暮らせるようになったのです。

この今の幸せをまだ失いたくはないです。


認定調査の聴き取りの時に
看護師さんが、

〝右手は動くけど、お顔を拭いたり歯磨きをしたり…も看護師に甘えてなかなか自らやろうとしない、依存傾向がある。〟

と仰っていて
わたしは『やっぱりか!』と少しショックを受けました。

もちろん、脳にダメージを受けているのだから、
やりたくてもやれないのかもしれない…
今まで普通に出来たことが出来なくなってしまって、
体が思うように動かなくって
夫が一番辛いということも理解してあげないと!と思うのだけど…わかってあげたいのだけれども!!

夫よ、泣いてる場合じゃないのだよ。
迷惑かけたとかごめんはいらんから、
リハビリがんばろ?

今、まさに、
どう乗り越えていくのか?
これからどう生きていくのか?
あなたが、あなたの人生から問われているのだから。

夫の分までモリモリ食べます˖* ¨̮
名駅南ムガルパレス三号店
名代とんかつ八千代味清
名古屋市中村区

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