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目に見える結果が全て 特に勉強で

『目に見える結果が全てではない』なんて優しいことをおっしゃる人がいる。
学校のセンセーに多いような気がする。
中堅公立高校の意識高い系【自称良い先生】がそんなことをおっしゃることが多いかもね。

定期考査後の面談で
『がんばったけど、今回のテスト結果にはキミの努力の結果は現れなかった。残念だけど、キミは努力したからこれでいいんだよ』
入試不合格でも
『がんばったけど、合格できなかった。残念だけど、キミは努力したからね』。
曰く『目に見える結果だけが全てではない。目に見えない努力こそが大切』

でもねえ、目に見える結果(点数)がとれなければ、不合格になるんだよ。
不合格になってから『努力したけど残念だった』と慰められても意味がない。
不合格になって人生の方向が変わってしまったんだよ。
それでも、『努力したからそれで良し』なのか?

学校のセンセーはそんなことを平気で言うから、塾に負けるんだよ。
塾のセンセーは、『結果が出ないのは努力が足りないからだ。《キミが怠けた》とまでは言わないけれど、現在のキミに必要な勉強量(努力量)をこなせなかったから、思った点数がとれていないのだ。
努力量は消化した問題集のページ数やプリントの枚数で可視化できるから、確かめながら、もっとがんばりなさい』とおっしゃる。
だから、目に見える結果が出る。
他人には勉強量が足りないように見えても、100点満点がとれたら勉強量は足りていたんだよね。勉強量とはそういうものだ。

まあ、合格すればどこでもいいなら努力したことを誇れば良い。
でもねえ、赤門とか百万遍の大学を考えるなら、目に見える結果は大切だよ。
国立大学、難関私立大学、難関公立私立高校などを目指すなら、目に見える結果をしっかり確認しながら、試行錯誤的勉強方法が良い。
試行錯誤していると、自分にとって効率が良い勉強方法が見つかるかもしれない。
その結果、目に見える合格を手にするだろうよ。

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