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否定文動画との向き合い方。

「これはダメ」「だから失敗する」。
近年は他者を否定する文言を入れたタイトルの動画が散見されます。
普段周りにとても気を遣っている繊細な人ほど、そんな動画をつい再生していないでしょうか。
投稿者はそういった繊細な人の心を蝕んでいることには構わず、今日も楽しく元気に、過剰に煽ったサムネイルで全世界へと投稿し続けます。


『【終わってる】こんな生き方考え方はダメ!!【人生大丈夫?】』
『【即別れろ】可哀想な性格5選【不幸を呼ぶ】』

(※このタイトルは私の創作です)

さて、ある日こんなタイトルの動画をもし目にしてしまったとしたら。
あなたは再生ボタンを押すでしょうか?

今回はそんなお話をしたいと思います。


【否定文タイトル動画の有効性を考える】


私の場合

まず、私の場合ですが、
もう観ません。(前は観てた)

そんな動画あげちゃうなんてどういう人なんだろう、言霊は跳ね返るものだよという気持ちもありますが。
結局、見ようと見まいと、答えはひとつだけなんです。
私がただ自分のやり方に、不安になっていたということ。強い言葉に、思惑通りに、過剰反応してしまっていただけ。
目にしなければ、特に心配な生活を送っているわけでもないのに。

何を取り入れたいか、決めるのは自分。知りたいことは自分が選んだ媒体から知れるから大丈夫。
そして選び取ったそれは、私にとっては正しいものだから。おかしいと思ったらまた直せばいい。
そんな風に思って生きています。

再生する側させる側の心理

……とはいえ、どうしてもその動画が気になって見てしまう人も多いかと思います。投稿者さん側も、より多くの人に見てもらいたいからそのような強い言葉をサムネイルに付けるのでしょう。

では、どんな風に高圧的な動画と接していけば、心を不必要に傷付けずに済むのでしょうか?

これはタレント活動10年、サービス業15年、様々な環境に身を置いた私なりの見解となります。

【視聴者の思考】
・自分は間違ったことをしてないだろうか?決断するのに時間をかけて考える人の場合、情報が溢れている現状に、本当は何が正しいのか不安でいる

・強い表現がトラウマである人の場合、大きな文字が目に飛び込むことで自分が否定されているように感じ、他者に怒られたくないと怯え従ってしまう

・理不尽な対応をされたなどで人間関係に悩んでいる人の場合、その相手に動画内容を重ねるために、他人事として視聴している

【投稿者の思考】
・営利目的。マーケティング戦略として、注目を集めるために強い表現をサムネイルに用いることで、他の同内容競合動画と差別化をはかりたい

・過去の自身の成功体験や理不尽な扱いを受けた経験を語り、誰でも構わないから無理にでも称賛や同意をしてほしい

・収入面等で目標を掲げており、もっともっとと物欲が出て、道徳心や社会への配慮等の初心を忘れてしまっている

(今回は、その否定文タイトルの動画が、社会的にも認められる有益な内容である場合のみのお話となります)

当事者には伝わりにくい

投稿者の思惑と視聴者の視聴理由には本来大きな違いがあるものと思います。

自分もそうかも、とか、思い当たる人がいる、とか。コメントの投稿で初めて、独り言だった動画はコミュニケーションの場に変わります。

しかし、その多くは視聴の必要のない、心優しく思いやりのある人が殆ど。大きな問題を起こすような人がその動画で更生する可能性は非常に低いのです。

残念なことに、普段人を傷付けている人にその動画を見せても響くことはありません。いくら強い表現だったとしてもです。
「そうだよね、高校の時一緒だった〇〇はそういう奴だった、マジ終わってたわ」
このように、全てを他人に置き換えて解釈します。よほど意図的に見せたのでない限りは、その人は自分が指摘されているなんて考えるわけがありません。

その人は日課として無意識に攻撃的な行動や言動をしながら生きているので、人を傷付けている自覚などないのです。

もしもこの投稿者が、優しくて自分を傷付けない人たちをターゲットにしているなど、視聴者層が明確である場合は、否定文タイトルの理由として、
「心の弱い人にわざと危機感を与え、怯えさせて従わせる」「こんな表現をしてしまう自分を許してほしい」等の思惑もあるかもしれません。

結論

恐らく大半は過去に何らかの深い傷を持つ、繊細な心を持った人間が視聴していると思われる、過剰に煽った否定的なタイトルの動画。

何か他の思惑がなければ、『ご機嫌に過ごすための5つのステップ』『一緒にいて楽しい人5選』など、肯定的な内容でよかったはずだと私は思います。
(いつか私が書くかもしれません)

不安を煽る動画を心を壊してまで、無理に観る必要はありません。
投稿者さんの心に何かがあるからそういった宣伝方法なのだと、過剰に寄り添って大金を支払う必要もありません。
むしろ、寄り添っているのならあなたの方に、カウンセリング料が必要です。

自身の心が壊れないように、辛い道を避け、優しい道を選んだっていいと思います。
優しい道。甘い道ではなく。グサグサと自分を傷付けて進まなくたってちゃんと魂は成長できることを、私は知っています。

朝巳そると

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