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映画好きな私が、南アフリカに行った後から観る映画の趣向がガラリと変わった話


「南アフリカへ旅行で行ったんですか?
 珍しいですね〜👓」

帰国した日本の空港出口で、
私の手荷物検査をしてきたスタッフが
怪しんだ様子で言ってきたのでした。

南アフリカ行ったのは、
ほんのささいなきっかけでした。

南アフリカにどうしても行きたかったというわけでもなく、
たまたま日本人の知り合いが仕事で住んでたから、
たまたま夫もちょうどいいタイミングで休みが取れて予定がなかったから。

2018年の冬
あれよあれよと南アフリカの地へ到着。

予備知識もなくて
挨拶は「ジャンボ」だと勘違いしていたし
(普通にHelloです)、
唯一"ネルソン・マンデラ"は名前は知っていたけど、
その時は何をした人なのかよくわかってなかった。
(昔、世界史の授業で見たぐらい。)

でも空港から、街中、グッズなど
至るところにネルソン・マンデラが描かれていて、
これはいよいよ避けて通れない存在だなと感じたのでした。

知人に、なんでこんなにネルソン・マンデラだらけなの?って聞いたら、
"南アフリカの元大統領"
"アパルトヘイトを終結させた人"
って教えてくれたけど、
その時の私にとっては、偉人ではあるけどそれにしてもなんでこんなにも街に溢れているんだ、とまだ不思議な感覚でした。


そんな中、マンデラ生誕の地 ソウェト(Soweto)へ。
ここはもともと貧困の地域ではあったようですが、
観光地域として活性化されていて華やかな街並みでした。

ソウェトの街並み
南アフリカ伝統のビーズ工芸のおみやげ品など
民族のパフォーマンス。日本円で1000円ぐらいでした。
おそらく別のパフォーマンス衣装の少年たち。
壁にダイレクトに絵を描く広告も海外ならでは。
鮮やか。


ソウェトでは、まず
『マンデラハウス』へ。

マンデラハウスは、実際にネルソン・マンデラが住んでいた家でこの日も多くの観光客が訪れていました

南アフリカで最も有名な住所でもある「ソウェト、オーランド、ヴィラカジストリート、ハウス8115」
ネルソンマンデラが実際に使用していた寝室
家の中の壁にはマンデラの2番目の妻、活動家のウィニーマンデラの娘のメッセージ。


外観。ソウェト付近はアパルトヘイト時代の名残で同じ造りの建物が多かった。


マンデラハウスには、家族と過ごした思い出がたくさん展示されていました。

そしてこのあと、近くにある
『ヘクター・ピーターソン博物館』へ。

ヘクター・ピーターソン博物館

アパルトヘイト体制下で発生したソウェト蜂起(1976年)で警官によって13歳の若さで射殺された、ヘクター・ピーターソンを称えるために記念された。ソウェトで建設された初めての博物館でもあった。
Wikipediaより

博物館の中には、アパルトヘイト制度やソウェト蜂起に関する展示がたくさんありました。
(館内は撮影禁止)

その博物館の外に飾っている記念碑には、
大きな写真があります。
そこには、撃たれたヘクター・ピーターソン君を抱えて必死に走る少年とその横で泣き叫ぶお姉さんの姿がありました。

泣きながら必死に走るこの姿がとても痛々しく、
そしてこの写真の出来事が今自分がいるソウェトの地で起きたことなんだということに、
悲しい歴史を初めて肌で感じて涙が出ました。

記念碑には"TO HONOR THE YOUTH WHO GAVE THEIR LIVES IN THE STRUGGLE FOR FREEDOM AND DEMOCRACY"
"自由と民主主義の闘いの中で命を捧げた若者を称えるために"
と刻まれています。


私は帰国した後も、この博物館で知った事実が引っかかっていて
もっとアパルトヘイトやネルソン・マンデラを知りたくなりました。

そこから、ネルソン・マンデラを題材にした映画、南アフリカに関する映画、他の民族紛争の映画、人権問題の映画と、観る映画の趣向が大きく変わっていったのでした。

今となっては、無知な状態で南アフリカ行ったことがすごくもったいなく感じました。

世の中には社会問題を題材にした映画がたくさんあります。
今まであまり触れてこなかった分野ですが、この旅行をきっかけに観続けて今に至ります。

本がなかなか苦手なので、映画ベースになりがちですが過去に観たものやこれから観るものを備忘録として残して行きたいと思います。

南アフリカ旅行は、他にも貴重な経験したのでそれはまた別の機会に書こうと思います。


ソウェトの街から見える大きな発電塔。今は使われてなくて、広告塔としてやバンジージャンプなどのアトラクションがあるらしい。

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