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多様性と矛盾

深夜に走り書きしたnoteです。


「え〜家事分担してないの?」


カフェの隣のテーブルで、2人組が話している。

「ありえないよ〜、今の時代、多様性の時代じゃん?男の人も家事して欲しいよね」

私の矛盾センサーが光る。


「家事を分担したい」という女性側の主張は、私も働いてるし、一昔前みたいに男が外で稼いで女は家を守る、そんな時代じゃないよね、女の人だって選択肢がたくさんある時代、私は働きたいから、家事も一緒に分担したい、そんなところだろうか。


確かに発端は男女の垣根や固定概念が小さくなってきて、セクシュアリティにとらわれない多様な生き方が歓迎されつつある世の中だから、という事実があるかもしれない。



ただ、「家事は分担して当たり前」を普及させていくことは、果たして多様性と言えるのだろうか。

それは、「男性は働く、女性は家事をする」という一昔前のスタイルを置き換えて新しいステレオタイプを作ろうとしているにすぎないのではないだろうか。


時々思う。
多様性を受け入れよ、これもある種押し付けで、受け入れることが難しいと言う価値観を否定しているのではないだろうか、と。


私の個人的な立場としては、幅広い個性や幅広い特性が受け入れられられやすい世の中であってほしい、そんな自分でありたい、変なバイアスをかけずに、ただの存在として目の前の人と対峙したい、と思う。


ただそれを隣の誰かに、「当たり前」として押し付け強要するのは、多様性を潰しに行っている行為なのではないかと思う。



多様性という言葉は、曖昧で境界線が薄いからこそ難しい。

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