本当にあった奇妙な話【むしのしらせおばあちゃん】

数年前に母から聞いた話です。


私しおせんは、島根県で産まれてすぐに鳥取県に引っ越しました。産まれてからしばらくは転勤したり転職したりで忙しかった両親の代わりに、島根のおばあちゃんが僕の面倒を見てくれていました。

かといって、おばあちゃんも毎日僕に付きっきりなわけではありません。少し体の弱かったおじいちゃんを居間に残し、家事に畑仕事に奔走していました。その間僕はずっと2階の物置と化した空き部屋で昼寝したりしなかったりしていました。まあ、そのときの記憶ほぼないんですが。ただハッキリ覚えているのは、その部屋はタンスが立ち並んでいて、雛人形の大きな飾りがあったりして、とてもゴチャゴチャしていました。


そんな日々が続いていたある日、畑仕事がなかったのか家事がすぐ終わったのか、おばあちゃんが付きっきりで僕のそばに居てくれていました。いつもはご飯のときぐらいしか見にこないのに、その日だけおばあちゃんと遊んだりしていました。

しばらくすると、突然外で怒号のような轟音が鳴り響き、地面が揺れ始めました。すぐに危険を察知したおばあちゃんは、僕を抱き抱えて一目散に階段を駆け下り外に出ました。その後おじいちゃんとともに近くの小学校の体育館に避難しました。

体育館で一日を過ごし、余震もなくなった次の日の朝に家に戻ると、僕の寝ていた二階の部屋は、タンスが倒れ雛人形の棚も壊れひどい有り様でした。


ちなみにその地震は、2000年に起こった「鳥取県西部地震」でした。実はこの地震、阪神淡路大震災よりも大きなマグニチュードだったにも関わらず、震源が山奥だったことなどの理由が重なって幸いにも死者は0人だったそうです。


その日をおばあちゃんが振り返ってみると、べつに家事がなかったわけでも畑仕事がなかったわけでもなく、その日だけ何となーく僕の面倒を見ていたんだそうです。

もしおばあちゃんが何気なくいつもの日常を過ごしていたら僕はタンスの真下に埋もれ、鳥取県西部地震唯一の死者になっていたかもしれない。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?