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椎名林檎と宮本浩次にしか表現できない「デュエットの極致」

僕は基本的に、好きなアーティスト以外の曲は、どんなに素晴らしい曲でも初めて聴いた瞬間に好きになるという、一目惚れという経験がなかった。僕にとって聴いたことないアーティストに触れるということはそれなりにエネルギーを要する行為なので、一度斜に構えないと聴けないのだ。
そうして直に、どんどんと魅力に気付いてハマっていったり、あるいは良さに気付けずそっと離れていったりする。


そんな僕の音楽人生の中で唯一、初めてちゃんと触れたアーティストに一目惚れしたと声を大にして言える例がある。椎名林檎と宮本浩次の「獣ゆく細道」だ。


この曲は本当に凄かった。最初この曲の存在を知ったときは「あー、また巷でバズってるやつか、どうせ心に刺さらないのだろうな」と、例によって斜に構えていた。
しかし、聴いた瞬間に耳に衝撃が走った。
なんだこの曲は。なんだこのデュエットは。なんだこの、異彩過ぎるオーラを放ちまくる2人は。
その瞬間に獣ゆく細道の、椎名林檎の、宮本浩次の魅力に完全にハマってしまった。後に獣ゆく細道はDL購入し、椎名林檎のアルバムとエレファントカシマシのアルバムも借りた。それぞれ「幸福論」と「悲しみの果て」に心を撃ち抜かれた。僕は両者のファンになってしまった。


そんな、僕の人生でも最大級の衝撃を与えてくれた獣ゆく細道は、いったい何が凄いのだろう。椎名林檎と宮本浩次が合わさったことで、どんな現象が生まれたのだろう。


獣ゆく細道の凄さとは。一言で言えば「デュエットの極致」である。
国民的アーティストの椎名林檎と宮本浩次が、ただただ歌っているのではない。2人だからこそ生まれた絶妙なハーモニー、2人でないと生み出されることない、とんでもない相乗効果がそこにはある。

まず、椎名林檎と宮本浩次のそれぞれの役割を見てみる。一番は宮本浩次がメインに歌い、そこに椎名林檎の合いの手やハモりが入る。二番は2人の立場が入れ替わって進む。最後の大サビには、作曲者である椎名林檎が堂々とメインのメロディを歌い上げ、そこに添えるように宮本浩次のハモりが入る。

言葉で言えばただのありきたりなデュエットと見られがちだが、そんなことはない。

本来デュエットというのは、自分の個性をある程度主張したうえで、もう一方の相方の歌声もうまく引き立てなければならない。ハモリなんかはその代表例だ。
主旋律を歌う時はもちろんハモリのパートの際にも、一気に自らが注目を引く歌い方をしなければならない場合もある。
そして時には、二人で同じメロディを歌うというユニゾンなんかを混ぜることで、曲としてさらに奥行きが増す。この際も、相手より声量が多かったり少なかったりするとパワーバランスが簡単に崩れてしまう。


日本を代表するデュオであるゆずやコブクロは、これらの塩梅が非常にうまい。

ゆずの岩沢厚治、コブクロの黒田俊介というそれぞれに圧倒的な声量を持つ存在がいて、それをうまく引き立てながら自らも主張を欠かさないというゆずの北川悠仁、コブクロの小渕健太郎という存在が完璧なバランスで共存している。それぞれの曲の良さを、何十倍にも何百倍にも昇華させている。

かたや椎名林檎と宮本浩次は、普段は一人で歌っている歌手だ。彼らもまた圧倒的な声量を武器にして、日本ロック界の一翼を担ってきた。そんな存在が一つの曲で対峙するわけだから、絶対どこかで「個性のぶつかり合い」が生まれるはずなのだ。

獣ゆく細道は、そんなことはなかった。お互いに相手を見事に引き立てていた。

とくにBメロの「人間たる前の単に率直な感度を保つてゐたいと思ふ」の部分のハモリは圧巻だ。まるで、十数年も一緒に歌ってきたかのような完璧なハーモニー。お互いが少しずつ個性を潰しながら、もちろん主張しながら、歌っているように聞こえた。
獣ゆく細道の凄さ、それはまさしくハーモニーの素晴らしさにある。


しかし、一口に「ハーモニーが美しい」と褒めたたえるだけでは語りつくせない更なる凄さがある。それこそが、椎名林檎と宮本浩次の共演が「デュエットの極致」たる所以だ。


先ほど挙げた「個性のぶつかり合い」だが、これが悪い意味で起こってしまっていると感じる例がある。桑田佳祐とMr.Childrenの「奇跡の地球」だ。

1995年に発表されたこの曲は、当時人気絶頂期だったサザンオールスターズの桑田佳祐とMr.Childrenの桜井和寿がデュエットするという、まさに衝撃的なものだった。その話題性もあって、シングル曲は170万枚もの大ヒットを記録した。

しかしそんな名曲・奇跡の地球も、よく聴くと「個性のぶつかり合い」が起きてしまっているのである。

実際に二人がハモリを見せているのはサビだけで、その他は桑田と桜井が交互に歌っている。ハモリのパートはもちろんのこと、ソロで歌うAメロやBメロにおいても、二人のその圧倒的な声量と癖のある声質から、とても簡素な風に聴こえてしまう。言うなれば、桑田佳祐という歌手と桜井和寿という歌手がただ交互に歌っているだけ。というところだ。デュエットとして一つの曲を歌うことで生まれる相乗効果みたいなものが感じられない。

これは決して、二人の歌い方がマズいというわけではない。もともと二人の持つ力が大きすぎて、曲に与える影響度が大きすぎるか故に、仕方なく起こってしまうものだ。

例えるなら、高級なステーキと高級な寿司を同時に頬張る感覚。二つの味が合わさって生まれる相乗効果で言えばないかもしれないが、それぞれの味自体は絶品モノ。そんな、贅沢だがどこかもどかしいという感じが「奇跡の地球」にはある。


対して椎名林檎と宮本浩次はどうだ。両者とものすごく濃い味を持っている。さながら高級料理そのものだ。しかし、それが混ざっても、何一つ違和感がない。見事に調和している。個性が激しくぶつかり合いながら、どこか絶妙なバランスで均衡が保たれている。

特に、「さあ貪れ笑ひ飛ばすのさ 誰も通れぬ程狭き道をゆけ」という、最後のフレーズ。
椎名林檎のシャウトが響き、宮本浩次のドスの効いた声が香ってくる。一件デタラメな音程に聴こえて、綺麗にハモっている。ここまで、自分自身の個性を殺さず最大限にアピールしつつ、聴いていて全くくどくないというのは、あり得ないことだ。
どちらかが気を遣っているとか、どちらもの技術が長けているとかそんな次元の話ではない。これは、椎名林檎と宮本浩次の2人でしか表現できない、今までになかったデュエットの形。
曲を綺麗に聴かせるという最も大事な要素を捨て、自らのアイデンティティをここぞというまでに喧嘩させる。歌い方だけでなく、椎名林檎の雄々しい立ち振舞いと宮本浩次の荒れ狂った身振り手振りからも凄まじい熱量を感じ取る。
それでいて、曲は綺麗に聴こえる。これがまさに「デュエットの極致」なのである。


日本の音楽界において、宮本浩次という男を自由自在に操れるのは椎名林檎だけだと思うし、椎名林檎という女を歌によって翻弄出来るのは宮本浩次だけだと思う。
2人のつくりだす世界、2人にしか歌えないデュエットソング。これからも、「獣ゆく細道」は日本の音楽界に燦然と輝き続けるだろう。

そしてあわよくば、もう一度、この奇跡の共演を見てみたいものだ。





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