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人に優しくしたら、私が仲間外れになる

胸の奥から、そんな自分が出てきた。

中学校の頃の話。

私はほとんどひとりぼっちに近かったけど、私以上にひとりぼっちの子がいた。その子は半分虐められていた、といっても良い。
その子と仲良くしたら、私はさらに仲間外れになる。
私はその子と関わらないようにした。

私が人生で最も罪悪感を抱いた時だった。
結局、そういうことをした私もひとりぼっちになる運命ではあったけれど。

女性同士の共感に上手く入れないと、女性のみの空間では著しく浮いてしまう。
私の目には、彼女たちに「多様性」という要素は見当たらなかった。

だって、人と違うことをしたら、虐められるもんね。
スイミーのように群れる彼女たちを見て、「本当に好んでその状態にいる人って、どれくらいいるんだろう」と思った。

ひとりぼっちになりたくない。
虐められたくない。

それが動機で群れているのだとすれば…
そして、私にもその一面があった。

男性にはこの感覚は分からないかもしれない。
アスペルガー傾向で、男性脳的な私は、学校での女性とのコミュニケーションにおいて、ずっとこの要素に悩まされた。

「人に優しくしたら、私が仲間外れになる」

だから、今、私は人との関わりにおいて、問題を抱えている。
人に心から寄り添えない。

――だって、寄り添ってもらったことがないもの。
母親も含めて。

でも、この数年、心から寄り添ってもらったな、と思える経験が増えた。
学生時代の女子との付き合いを引きずっている自分に、気づいた。
もう仲間外れになることを心配しなくてもいい、ことに気づいた。
だって、学校は卒業したもの。(学校は大嫌い!!!)

だから、もうこれは手放しても良いのかな。
精一杯生きていた、十代の私。
本当に頑張ったね。
心を凍らせて、辛さも苦しさも感じないようにしていた。

でも、これからは、自由な未来を目指して、行動していこう。

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