「これに頼ろう」という甘え
私はたくさん甘えてきた。
このブレスレットを買ったら、この施術を受けたら、ヨガをしたら、体が柔らかくなったら、お守りを持っていたら、彼がいたら――。
自分の外のものを頼りにして、生きづらくて暗い世界を生き延びてきた。
一時的な効果はあった。
プラセボ効果というものがあるように、人間の思い込みの力は強い。
でも、私の持ち物はどんどん増えていった。
お白湯も必要、お菓子も必要、このジュエリーが必要――私のバッグはどんどんパンパンになっていった。
この行為自体が他人軸である、ことには、薄っすら気づき始めていた。
でも、見ない振りをした。
そうしないと、生きていけないから。
ある時から、私は家の外に出られなくなった。
他人の力を物理的に頼れなくなった。
ネットを介して人と交流はするけれど、今、ここにあるのは、「自分」「自分」「自分」…
本を読み、YouTubeを見て、知識を蓄える。
でも、今、ここにあるのは、自分の肉体だけ。
「この人がいれば」
「これを身につけていれば」
そうして、私は発作を抑えてきた。
結局のところ、自分の力なんて信じていなかった。
信じていなかったから、私は力を失った。
人の思い込みの力は強い。
人は、色々なことを言う。色々なものを売ってくれる。
好きな話を聞けばいい。好きな物を買えばいい。
でも、今、ここにあるのは、「自分」。
この身一つで生きていく。
その誇りがあるこそ、独立しているからこそ、他人と手を取り合うことができるのではないか。
不十分で良い。
できないことがあってもいい。
完璧なんて幻想だ。
甘ったれな私でも、できることはある。
だから、それをしていけば良いんだと、今はようやく思えるようになった。
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