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そるとが人生を考えてみた

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感受性が豊かで心身に不調を抱えてきたわたしが、人として生きることを考えてみた。
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#仕事について話そう

"評価される"仕事から、"評価する"仕事へ

仕事が原因で適応障害になったが、正直、外部の環境変化ですべて解決するわけではない、と思っている。 なにがわたしの仕事の手を止めるのか。 それは、「会社のために働いたのに、何も戻ってこなかった」という、被害者意識だ。 わたしの勝手な、ね。自覚してる。 評価"される"から、好ましい部下像を演じる。 評価"される"から、我慢して働く。 冷静に考えてみる。 今の日本の会社で、評価制度でそこまで給与に差がつくかと考えてみたら、差はあまりつかない。 昇格なら別だけど、それ

"生きること"は目的? 手段?

労働でお金を稼ぎ、そのお金でご飯を買って、生きる。 労働は"生きること"に繋がっている。 そして、労働にたくさんの時間を使うわたしたちは、"生きること"に精一杯だ。 ずっと、なんとなく、"生きること"を目的にしていたような気がする。 "生きること"を安定させるために、多くの時間を労働に費やしてきた。 趣味を仕事にしているわけでもなく、多くの会社員がそうであるように、そこまで強い思いを仕事に抱いているわけではない。 わたしの時間(=命)の多くは、"生きること"のため

わたしとして生きる意味を。

わたしは否定された。矯正されそうになった。 仕事で「この方法は駄目だ」「変えなさい」と言われた。 「今のわたしのままでは駄目だ」と今まで築いてきた"わたし"を完全に否定して、根本から塗り替えようとした。 それが大きな間違いで。 手を付けた根本から、わたしは崩れ落ちた。 「"わたし"がこの仕事をする意味はあるのだろうか」と正常に感じていたけれど、その思いを踏みにじり、進みすぎた。 昔から否定されることはあった。 感情を否定し、"わたし"がもう分からなくなっていた。