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日誌(220114 インプットの見直しとは)

おはようございます。と打ったところで、手が止まってしまって、何を書く気なのかテーマすら定まらない今日この頃です。アウトプットがおぼつかないのは、インプットが足りていないからかなと思いつつ、この日誌を書き終えたら本を読むつもりです。

さて、今日の本題です。インプットをどこから得るかについて、考えてみる。書き出しのところでは、インプットが足りない→本を読むとしていましたが、本以外の方法ももちろんある。
絵を見たり、音楽を聴いたり、お香を焚いたり、方法はいろいろ。でもなぜかインプット→本って思わないだろうか?僕だけ?
最近、ふと気づいたことがある。昔よく聴いていた歌がテレビから流れてくると、何気なく口ずさむことができる。これもアウトプットと考えると、インプットはどこから来たのか、歌詞カードなどの文字や紙の媒体から得たのだろうか?多少はあるかもしれない。ただ、大部分は繰り返し聴いて、繰り返し口ずさんで、ときにはカラオケで歌ううちに、インプットされていったものではないだろうか。聴くというインプット→口ずさむというアウトプット→繰り返すという落とし込み、これらによってたくさんの歌が僕の中に記憶されている。
一連のプロセスを振り返ると、インプットはインプットだけで成立してなくて、アウトプットや落とし込みによって、その効果を最大限に発揮する。それはアウトプットや落とし込みも同様だ。
だからインプットだけでなく、アウトプット、落とし込みも考えてみる、もし抜け落ちていた場合はそれらを用意する。もし用意できない場合は、プロセスそのものを見直すといいのかなと思っています。

おわり

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