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日誌(220208 足取り重く会議室を後にした話)


メモが残っていなくても記憶に鮮明に残っていることがある。これは何なんだろうなぁと思う。脳科学あたりに明るい人にお聞きするとわかるのだろうか。
実家の自室から見た景色、大学の寮に向かうまでの坂道、小学生のころに遊んだ公園、すべてが同じだけ鮮明ではないけれど記憶の中に焼き付いている風景や場面がたくさんある。みんな同じようなものを持っていると考えると、他の人の風景や場面を聞いてみたいなぁというノスタルジックな冒頭でした。

さて、本題に入ります。この日の私のメモ(リリーフ1号)に残されていたメモはごくわずか。
[かな][思います][語尾]の3つ。
メモは少なくても、とても鮮明に場面、そのときに考えたことが残っている。
或る会議のサポートメンバーとして入った時間のことだ。主催者(以降、Lさんとする)が同会議に不慣れということで急きょサポートメンバーとして会議に入ることになった。注意事項やポイントは、Lさんと会議前に打ち合わせ済みだ。会議中にあがった質問、確認事項を適宜フォローすれば十分かな、という認識でいざ会議開始。出席者からLさんへいくつか質問が出る、Lさんは「○○かなーと考えております」「△△とさせていただきたいと思います」「□□でございますーー」回答している。
議論している内容自体に誤りは無いけれど語尾がひっかかる。内容を訂正するのであれば、カットインできたと思う。そうではない今回のパターンは、私の力量では割って入ることができなかった。
せっかく回答自体はポイントをおさえているのに、と私が思ったということは、つまり他の出席者も同様に思った人が少なからずいるかもしれない、かつLさんの回答が正確であったか判別がつかない人はさらにひっかかる部分が多かった、フラストレーションを感じたのではないか、と想像してしまった。
会議後、Lさんには3つの気になったポイントを伝えたものの、会議前の打ち合わせで話しておく内容だったなーと足取り重く会議室を後にした話でした。



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