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ずっとお母さんをバカにしてたし、お母さんみたくなりたくないし、大嫌いだった!~お母さんへの手紙~

~お母さんへの手紙~

お母さんへ
お母さんを責めるつもりは全くありません。ただ、伝えないと言葉にしないと浄化できないのです。

お母さんは娘のことを愛していたかもしれませんが、わたしはずっと怖かったです。怯えていました。またいつ怒られるのかって。
だから、わたしは怒りを受け取らない代わりに愛情も受け取らないという罰を与えました。だから、いまでも怒られたり、不機嫌でいたり、ため息ついたり、小言やわたしを否定することがわたしは苦手だし嫌いです。

お母さんの何気ない一言が、とても強くとげがあって、わたしはいつも怯えていました。だから、頭の中は、お母さんに怒られないように自己反省したり、正解を求めて頑張ったり、認められるために真面目にいい子を演じました。何をするにも「お母さんの監視」があるのです。

今日も口唇ヘルペスができ、「いつもできてるじゃない」ってお母さんに言われた時に「あなたの監視にはもう疲れた。わたしがやることにいつも反対してお母さんの思い通りに行かなかったら怒る。お母さんと一緒にいるとストレスがたまるからわたしの体調もリズムも崩れやすいんだよ。」そう言ってやりたい。だけど、父親に「聞き流せ!」と言われ、わたしが一人暮らししたこともお母さんのことが苦痛になることも父親が理解してくれているので、まだ、救われています。

お母さんにどうしたら愛されるのかと思うと同時に早くお母さんから離れたかった、自由になりたかった、わたしのやりたいことを好きにやりたかったのです。

いつしか、人生の目標が「お母さんから離れて仕事で結果を出して、お母さんみたいに専業主婦でいつも不機嫌で怒ってばかりで、おばあちゃんの悪愚痴ばかり言っているあなたみたいにならないこと。」でした。

だから、お母さんみたいになりたくないから結婚をしないって決めたんだろうね。

そして、31歳の時に一人暮らしを決意して離れ暮らすことになり、別々に生活をすることで、お母さんのことなんて忘れられるそう思っていました。

しかし、そうはいきませんでした。

こころの中でも頭の中でもお母さんが存在して、いつも見張られている気がしてとっても辛かったです。どうあがいても、お母さんの子どもでいた以上同じことをしてしまうわたしがいました。

あんなに人をコントロールしてくるのが嫌だったのに、
あんなに理不尽に怒ってきたり、自分が正しいって振りかざすのが嫌だったのに、
あんなに不機嫌で不幸そうな顔をしてるのが嫌だったのに、
あんなに人の愚痴を言うのが嫌だったのに、

おんなじことをしているわたしがいました。

社会人になると、女性とのコミュニケーションを取るのが苦手でした。

お母さんの顔色を伺っていたように、友達や上司や部下や同僚の顔色ばかりを伺うようになりました。

お母さんに怒られないように、正解を探していたように、他の人と会話をしていても正解を求めるようになり、自分がどう思われているか気にしていました。

お母さんに認めてほしくて、褒めてほしくて、男性とお付き合いしたくても、お母さんに認められる条件じゃないとお母さんに会わせたら反対するんじゃないか、批判されるんじゃないかって怯えていました。

わたしは大人になるまで知りませんでした。
「お母さんに気を使っている」ということ。
とってもびっくりしました。お母さんとは旅行にも行っていたし、私よりもお母さんと仲の悪い人を見ていたから、わたしにはお母さんとの問題なんてないって思っていました。

お母さんと仲のいい人は「気を使わない」とのこと。連休やお盆や正月でも帰りたい時に帰って、ストレスもないし安心感もあるそう。

わたしはお母さんと仲が悪いし嫌いだったのです。ただただ、認めたくなかったのです。嫌いだと認めてしまったら、お母さんがどこかに行ってしまうかもしれない怖さがあったから。

今でも、不思議なことがあって、なぜあんなに自分らしく、わがままに自由に、自分のやりたいことを軽々と叶えていけてる人がいるのか。

それは、お母さんから愛されていたという実感を受け取っていたからなのです。何の疑いもなくお母さんの愛を受け取っているからなのです。

でも、わたしは、怒られたくない代わりに愛情も受け取らないという罪を自分に課しました。わたしが不幸になることで、お母さんに同じような苦しみと罪を背おって欲しかったのです。わたしが不幸でいることがわたしの幸せだったのです。お母さんに復讐したかったのです。

わたしがいい子でいたように悪い子なわたしもいました。
ドスグロイわたしがいたとしてもお母さんはわたしを愛してくれますか?
きっと、どんなわたしでも愛してほしかったのです。
条件付きの愛情ではなくて、無条件の愛情が欲しかったのです。
その実感が欲しかっただけなのです。
だから、いま、ニート独身彼氏なし実家暮らしの37歳。
わたしが罪を背負ってきた結果なのです。

わたしは見て見ぬふりをしてきました。
こんなにもお母さんから愛されて守ってもらいわたしの幸せを誰よりも願っていることを。お母さんの愛情を受け取ってしまったら、わたしが幸せになっていしまうから。お母さんを置いてわたしだけ幸せになっていいのかと。

不幸だと思っていた経験や体験もいま思ったら大切な思い出。
けっして、お母さんのせいにしたかったわけじゃなかったのです。

お母さんが幸せでいつも笑顔でいてほしかった。
いつも楽しそうにしていてほしかった。
わたしが産まれたことで幸せだって思ってほしかった。

わたしが幸せになることをこだわっていたんじゃなくて、
お母さんが幸せでいてほしかったんだよ。
そんな幸せなお母さんを見ているだけでわたしも幸せだから。
わたしが産まれてきてよかったなって思えるから。ただそれだけ。
こどもはお母さんの幸せが一番うれしいんだよ!

お母さんが幸せだって思えてるなら、不幸でいるわたしを罪から解放します。笑顔で笑っているお母さんがわたしは大好きです!
これでわたしも一歩前に進めそうです。ありがとう。お母さん。

なおこ

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こころの中には母親がいる。頭の中にはいつもお母さんに怒られないように自己反省しているわたしがいる。だから、正解を追い求めている。

心配性な母親→ちゃんとしなさい、こうしなさい、ああしなさい、支配的な母親。信頼されていないわたしはできない存在なんだと思ってしまう。だから、自発的に自分ができると思えなくなる。世界は大変なんだと認識する。
いつも不機嫌な母親→お母さんはわたしが生まれてきてもうれしくないんだな。わたしは生まれてきても人を喜ばせらられない存在なんだな。わたしは人を笑顔にできない。わたしがここにいると人を不機嫌にさせる。わたしは人を不幸にさせる。楽しそうじゃない。
弱い母親→出来ない。諦める。こんなの無理。力のない母親。社会の中で仕方ない。(よわっちぃ母親って思いたくない。感謝します。ここまで育ててくれてとか言って認めたくない。)
可哀想な母親→病気。精神的に弱い。運が悪い。可哀想な不遇。たいへんな世界で頑張って生きてるな。耐えてるな。頑張っているな。我慢しているな。わたしも可哀想な存在。
男運の悪い母親→男運が悪い。お父さんを通してお母さんを見ている。ダメンズを捕まえやすい。
母親は完璧な人。と思っていたけど、今、30代になって、知らないこともできないこともダメなこともいっぱいある。大変な中育ててくれたんだ!

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